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東京高等裁判所 昭和62年(う)1154号 判決 1990年8月15日

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は、被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人塚本重頼、同依田敬一郎、同芝四郎、同田中英雄、同西尾孝幸および同横井大三連名の控訴趣意書(以下、「弁護人ら連名の控訴趣意書」という。)、弁護人塚本重頼名義の控訴趣意書補充陳述書及び控訴趣意補充陳述書その二、上記弁護人ら六名連名の控訴趣意補充書その三、その四(「控訴趣意書補充書その四」と題するもの)及びその五、弁護人依田敬一郎名義の控訴趣意書(以下、「依田弁護人の控訴趣意書」という。)、控訴趣意書補充陳述書、控訴趣意補充陳述書その二、その三(「控訴趣意書補充陳述書その三」と題するもの)及びその四に、これに対する答弁は、検察官吉川壽純名義の答弁書及び検察官遠藤源太郎名義の補充答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから、ここにこれらを引用する。

第一弁護人ら連名の控訴趣意書第一点について

一  原判決が被告人を本件建物の「管理について権原を有する者」と認定したことに関する審理不尽の主張

所論は、要するに、株式会社ホテル・ニュージャパンの本件ホテル建物については、消防法八条一項にいう「管理について権原を有する者」とは、同ホテルを所有し、管理し、運営している株式会社ホテル・ニュージャパンであって、その代表取締役社長である被告人ではない。被告人は、同社の重要な株主であり、かつ、運営の指揮に当たっていた者であるが、同ホテルの所有権その他の権限を有するものではない。ところが、原判決が特に理由、根拠を示すことなく、被告人を「管理について権原を有する者」と認定したのは、審理不尽であるというのである。

思うに、消防法八条、同条の二、消防法施行令四条、消防法施行規則三条その他の規定において用いられている防火対象物(建築物等がこれに属する。消防法二条二項参照)の「管理について権原を有する者」(以下、「管理権原者」という。)とは、その防火対象物を管理する正当な法的原因を有する者と解されるが、本件ホテル・ニュージャパンのように、法人が防火対象物を所有するとともに、これを占有、管理して事業を行っている場合、その管理権原者は、法人そのものではなく、自然人であり、それも、原則として、法人の代表者であると解するのが正当である。けだし、管理権原者は、防火対象物の防火管理上、最高の責任者として、右の諸規定により一定の権限を有し、義務を負っているが、もし法人そのものを管理権原者と解するならば、その意思決定に所要の機関決定を経なければならない等により時間を要し、また、実際上責任の所在が明確でない等の弊の生ずるのを免れず、その結果、管理権原者としての責務が迅速適切に履行され得ない事態の発生を避けることができず、このようなことを避けるためには自然人をもって管理権原者とすることが必要であり、それには、内規等をもって他の役員又は職員に権限及び義務が委譲され、かつ、その委譲が相当と認められる等の特段の事情のない限り、法人の代表者がこれに当たると解するのが相当であるからである。

なお、念のために付言すれば、次のとおりである。

(1)  法人の代表者を管理権原者と解することは、もとよりその者が管理権原者の権限の行使及び義務の履行に関する事務までをすべてみずからの手で行わなければならないものではなく、その責任においてこれを他の役員又は部下の職員をして行わせることを妨げるものではない。

(2)  また、消防法施行規則別記様式一号の二所定の「消防計画作成(変更)届出書」及び同一号の二の二所定の「防火管理者選任(解任)届出書」の各様式中の届出者欄に「法人の場合は」とあるのは、当該防火対象物の所有者等が法人である場合のことであって、規則みずからが法人自体を管理権原者と認めている証左であるなどと解すべきものではない。

(3)  また、消防法四二条一項一号及び四三条一項一号の違反行為(いずれも管理権原者の違反行為である。)についての両罰規定である同法四五条は、法人の役職員である管理権原者が右違反行為をしたときは、(行為者である役職員が同法四二条一項一号又は四三条一項一号により罰せられるほかに)法人をも罰する旨を定めたものと解すべきであって、同法四五条の規定をもって、法人が管理権原者であることを前提として、現実の行為者のほかに管理権原者である法人をも罰する旨を定めたものであるなどと解することはできない。

当審における証人増子信仁(東京消防庁指導広報部指導課指導係主任)の供述によれば、消防当局も、法人が防火対象物を所有するとともに、これを占有、管理して事業を行っている場合の管理権原者は、法人自体ではなく、自然人であり、すなわち、原則として法人の代表者である役員がこれに当たり、例外的に、当該法人の内規等により管理権原者の権限や義務が他の役員又は職員に委譲されており、かつ、その委譲が相当と認められるときは、その役員又は職員がこれに当たると解していること、並びに、たとえば、或る事業主について、その者を管理権原者と認め得るかどうかの検討にあたっては、その者が(ア)当該事業所の代表権を有しているかどうか、(イ)建築物等の増改築、避難施設や消防用設備の設置及び維持管理の権限や責任を有しているかどうか、(ウ)当該事業所に勤務する者に対する労務上、人事上の権限を有しているかどうか等が考慮されることが認められる(なお、増子証人の供述中に、当審取調べにかかる解説書「防火管理の知識・基本編」((当庁昭和六二年押第三九六号の27))二五頁及び「防火管理指導指針」((同押号の28))二二頁の両罰規定に関する各記述の一部を誤りとする箇所があるが、同記述は、いずれも前記(3) の理を言ったものであって、誤りはなく、その点は、同証人の誤解と認められる。)。

ところで、原審で取り調べられた証拠(以下、「原審証拠」という。)によれば、株式会社ホテル・ニュージャパン(以下、「ホテル・ニュージャパン」という。)は、政令で定められる防火対象物に属する本件ホテル建物(以下、「本件建物」というときは、これを指す。ただし、九階及び一〇階にある藤山事務所及び藤山勝彦邸の区画を除くものとし、これを含むときは、「本件建物全体」という。)を所有し、これをホテル等に使用して営業していたものであるところ、昭和五四年五月被告人が代表取締役に就任した後のホテル・ニュージャパンの役員構成は、代表取締役社長が被告人、取締役副社長が横井邦彦(被告人の長男)であるほか、専務取締役横井裕彦(被告人の次男)、同西吾平の二名を含む取締役四名及び監査役二名がいたが、西以外はすべて被告人の縁故者であり、常勤役員は被告人、横井邦彦、西の三名にすぎず、さらに、昭和五四年一〇月に西が辞任した後は、会社経営を実質的に担当していた役員は被告人と横井邦彦だけであり、その権限について見ると、ホテル・ニュージャパンの経営、管理上の実質的な決定権限は被告人がこれを掌握し、このことは、同会社の消防用設備の設置、並びに、消防計画の作成や自衛消防組織の編成にも影響のある職員の増減等についても例外ではなく、すべて被告人の決裁するところであったことが認められる。

右のとおりであって、被告人は、ホテル・ニュージャパンの代表取締役社長就任以降、名実ともに同会社の代表者であったものであり、従って、前述の理により本件建物の管理権原者であったと見て少しも妨げないといわなければならず、なお、本件建物の消防法一七条一項にいう「関係者」である上に、同法一七条の四にいう「関係者で権原を有するもの」であったと認められる。

ちなみに、原審証拠によれば、幡野政男を防火管理者に選任した旨の昭和五四年一〇月三一日付「防火管理者選任届出書」<証拠>(消防法八条二項に基づき管理権原者が届け出なければならないもの)が、「株式会社ホテル・ニュージャパン代表取締役横井英樹」名義で提出されて、所轄麹町消防署において受理されていること、また、スプリンクラー設備を本件建物の未設置部分に設置すべき旨の麹町消防署長名義の昭和五六年九月一一日付「命令書」<証拠>(消防法一七条の四に基づき、当該防火対象物の関係者で権原を有するものに対して発せられるもの)が「株式会社ホテル・ニュージャパン代表取締役横井英樹」宛てに発せられていることが認められるが、これらの書面は、ホテル・ニュージャパンの代表取締役である自然人たる被告人が提出し、又はそのような被告人に対して発せられたものと解せられる。

なお、被告人が本件建物の管理権原者でないとの主張は、原審では全く行われず、控訴趣意においてはじめて提出されたものである。

以上のとおりであって、原判決には何ら所論の審理不尽はなく、論旨は理由がない。

二  原判決が被告人が本件建物全体の管理権原者であるかのごとき認定をしたとする審理不尽の主張

所論は、要するに、被告人がホテル・ニュージャパンの代表取締役社長としての立場から本件建物の管理権原者に当たるとしても、本件建物(全体)の九、一〇階には他人の区分所有に属する藤山事務所及び藤山勝彦邸があり、ホテル・ニュージャパン及び被告人は、これらの事務所及び邸宅部分については何らの権限もなく、従って管理権原者でないことが明白であるのに、原判決が被告人が本件建物全体について管理権原者であるかのごとき認定をした点において、被告人の責任の範囲を明確にするための審理を尽くさなかった違法があるというのである。

しかし、原判決(一六頁)は、被告人をホテル・ニュージャパンの「ホテル建物」の管理権原者と認定しているところ、その表現において特に九、一〇階の藤山事務所及び藤山勝彦邸の部分を除く旨を明示してはいないが、原判決(五五頁)が本件建物(全体)の使用状況等に関する認定において「九、一〇階には個人としての区分所有している藤山事務所及び藤山勝彦邸があった」と判示していることから見て、原判決は右部分をホテル・ニュージャパンの所有と考えていたものでないことが明らかであり、かつ、原判決の認定するとおり、右部分は、本件建物全体の一小部分であり、また、もとより出火場所でもなかったものであって、原判決が被告人をホテル・ニュージャパンの「ホテル建物」の管理権原者と認定したのは、右部分をも含めた趣旨ではなく、本件建物全体中の大部分を占めるホテル・ニュージャパンの所有部分についてそのように認定したものと解することができる。

以上のとおりであって、原判決には、所論の審理不尽の違法はなく、論旨は理由がない。

三  本件建物の管理権原者としての被告人に義務不履行はない旨の主張

弁護人ら連名の控訴趣意書第一点三(2) の所論は、要するに、被告人が本件建物の管理権原者であるとしても、もともと防火対象物の管理権原者が消防法により防火管理体制確立のために負担している義務の具体的内容は、(ア)政令で定める資格を有する者を防火管理者として選任すること、(イ)この防火管理者をして消防計画の作成、計画に基づく消火、通報及び避難訓練の実施、消防施設の点検、整備等を行わせることであるが、右(イ)の消防計画の作成その他の事項は、直接には防火管理者の義務であって、このことは、消防法が防火管理者の資格を法定し、防火の専門業務化を求めている趣旨に基づくものであり、従って管理権原者は、資格を有する者の中から信頼すべき者を防火管理者に選任すべきであり、これが法的にも実務的にも最も重要な防災体制確立義務であって、避難訓練の実施方法、回数、防火設備の保守、点検などは、管理権原者の明示の意思に反しない限り、防火管理者の権限においてなし得るし、そうあらねばならず、従って、消防法八条一項が管理権原者について定める義務のうち前記(イ)に相当するものは、事実上防火管理者の選任という行為で履行されたことになり、もちろん、管理権原者は選任後も必要に応じて防火管理者に対し監督権を行使することができるが、監督権を行使する必要があるのは、監督権を行使しなければ事故の発生する可能性があることを予見し得る場合に限られ、本件ではそのような予見可能性はなかったから、被告人に防火管理者幡野政男に対する監督権不行使の責任を問うことはできないものであり、すなわち、管理権原者の監督責任の内容が防火管理者と同程度、あるいはそれ以上とする考え方は明らかな誤りであって、このような論理は、たとえば航空会社の社長にパイロットと同じ技術上の責任を負わせるのに等しいといわざるを得ず、多数のホテルの経営者に管理権原者であるからといって防火管理者と同様な責任までも課することは不当であり、常識に反し、今日における企業の実態に照らしてみても、社長がすべての傘下の企業の防火体制を知悉することは事実上不可能であり、従って消防法上の管理権原者としては、自己の選任した防火管理者の職務遂行上の能力に特段の不都合が客観的に認められない限りこれを信頼して防火体制を維持することが許されるものと解すべきであって、白石中央病院事件についての札幌高裁昭和五六年一月二二日判決(判例時報九九四号一二九頁)が管理権原者である病院長の注意義務に関して判示したところも、以上の理を示したものであるというのである。

しかし、本件建物の管理権原者である被告人が防火管理者に幡野政男(以下、「幡野」というときは、幡野政男を指す。)を選任したことをもって消防法八条一項所定の管理権原者の義務を果たしたといい得ないことは、弁護人ら連名の控訴趣意書第四点に対する後記判断において判示するとおりであり、また、所論引用の裁判例は本件と事案を異にし、適切ではなく、論旨は理由がない。

第二弁護人ら連名の控訴趣意書第二点(控訴趣意補充書その三による補充を含む。)について

所論は、要するに、原判決にはホテルの経営自体を刑法二一一条前段の業務に当たるとした違法があるとし、その理由として、刑法二一一条前段の業務の意味については、人がその社会生活上の地位に基づき継続反覆して従事するもので、人の身体、生命に危害を加えるおそれのある仕事と解するのが通説であり、判例(最高裁昭和三三年四月一八日第二小法廷判決・刑集一二巻六号一〇九〇頁)であるが、被告人のホテル・ニュージャパンの社長という業務自体は他人の生命、身体等に危害を加えるおそれのある業務に当たらないのはもちろんであり、また、最近の判例(最高裁昭和六〇年一〇月二一日第一小法廷決定・刑集三九巻六号三六二頁)は、刑法二一一条前段の業務には人の生命、身体の危険を防止することを義務内容とする業務も含まれるとしているが、被告人のホテル・ニュージャパンの社長という業務自体は人の生命、身体の危険を防止することを義務内容とする業務にも当たらず、すなわち、被告人は、本件建物の管理権原者として、防火管理者にその適格を備えた幡野政男を選任し、防火に関する一般業務、たとえば、消防設備の保守、点検の励行、防火訓練の実施を委ねたことで、防火面における当座の責任を尽くしており、従って、社長である被告人自身が「危険業務」に携わっているものと見ることはできないのに、原判決が特段の説明もなく被告人に業務上過失致死傷罪の成立を認めたのは法令の解釈適用を誤ったものというべきであって、また、実際上も、ホテル火災に業務上過失致死傷罪が適用される場合に社長自身が責任を問われる例は少ないばかりでなく、その少ない例の事案の内容を見れば、社長といっても防火管理者に近い立場にあった者であることが多く、本件被告人のように大きなホテルの社長というだけでその過失が同罪における業務上の過失とされた例はなく、学説でも本件被告人のような立場にあった者について業務上の過失責任を問うべきものとしたものはない旨を主張するものである。

よって考察すると、刑法二一一条前段にいう「業務」には、他人の生命、身体に危害を加えるおそれのある業務ばかりでなく、他人の生命、身体の危険を防止することを義務内容とする業務も含まれると解すべきことは、所論も引用する判例(最高裁昭和六〇年一〇月二一日第一小法廷決定・刑集三九巻六号三六二頁)の示すところである。

ところで、ホテルは、多数の人が出入する建築物の一つであって(その特徴は、不特定多数の利用客が、自宅その他普段自己が起居している場所とは異なった環境下に、提供された客室等にくつろぎ、殊に夜間は寝入ってしまうという点にある。)、特に火災が発生し、拡大するや、利用客その他出入りする多数の人の生命、身体に重大な被害をもたらす危険性を包蔵するものである。消防法令が、ホテルを防火対象物の一つとして、消防用設備等の設置及び防火管理等について規制している主たる理由も、ここにあるのである。従って,ホテルの、直接防火管理の実務自体には携わらない経営者(会社組織の場合は役員)であっても、ホテル建物についての消防法令による規制に対して責任を負っているなど、その置かれている立場によっては、他人の生命、身体の危険を防止することを義務内容とする業務に従事していると認められる場合があるものといわなければならない。

このようであるところ、原判決(二八五頁)も判示しているとおり、被告人は、ホテル・ニュージャパンの代表取締役社長として同ホテルの経営、管理事務を統括する地位にあり、従業員らを指揮監督し、同ホテルの営業自体についてはもとより、営業に伴う宿泊客等の生命、身体の安全確保のために、防火、消防関係を含む本件建物の改修、諸設備の設置及び維持管理並びに従業員の配置、組織及び管理等の業務についても、これを統括掌理する権限及び職責を有していた者であって、これを消防法令について見ると、すでに第一の一において判示したとおり、被告人は、政令で定める防火対象物に属する本件建物について、消防法一七条一項所定の「関係者」として、客室等に消防法令に定める基準に従った消防用設備等を設置する義務を負うとともに(しかも、同法一七条の四所定の「関係者で権原を有する者」であった。)、同法八条一項所定の「管理について権原を有する者」として、防火管理者をして消防計画の作成、同計画に基づく消火、通報及び避難訓練の実施、消防用設備等の点検整備、防火上必要な構造及び設備の維持管理など防火管理上必要な業務を行わせる義務を負っていた者である。

右のとおりであるから、被告人はまさに他人の生命、身体の危険を防止することを義務内容とする業務に従事していたというを妨げないといわなければならない。

所論は、従来、大きなホテルの火災について、防火管理者でなく、またそれに近い立場にもない社長が業務上過失致死傷罪に問われた例はない旨を主張するが、もしそうであるとしても、そのことは、大きなホテルの社長の地位が同罪の一要件である「業務」に常に当たらないからではなく、大きなホテルの社長である者が本件被告人の過失のような重大な過失を犯した事案がなかったことによるものと考えなければならない。

以上のとおりであって、原判決が被告人の地位を刑法二一一条前段にいう「業務」に当たるとした判断の結論は正当であり、論旨は理由がない。

第三弁護人ら連名の控訴趣意書第三点について

所論は、要するに、弁護人らは、原審において、スプリンクラー設備又は代替防火区画の設置については、ホテル・ニュージャパンの前社長に責任がある旨強調したが、原判決(三一九頁)は、これに対し、「前経営者の遡及工事不履行等の点については、被告人横井が本件ホテルの経営を承継後本件火災発生まで既に二年八か月余を経過しているのであるから、右の点も被告人横井の過失の存否の判断に何らの消長を及ぼすものではない。」と判示して弁護人の主張を排斥しているところ、被告人は、昭和五四年五月ホテル・ニュージャパンの社長に就任した後、前社長に比べれば資金調達の面などで非常に困難な状況のもとに(なお、原判決一三三頁が、前社長当時の遡及工事の施行が計画の一部にとどまったのは資金不足等のためである旨判示している点は、事実の誤認である。)前社長よりも短い期間にスプリンクラー設備又は代替防火区画の設置をしなければならず、その努力が実を結びつつある段階で本件火災の発生を見たため、その火災当時の社長というだけで、前社長の責任は全く不問に付されているのに、ひとりスプリンクラー設備又は代替防火区画の設置に過失があるとして刑法二一一条の重い責任を問われるのは、結果責任を問われるに等しく、刑法の責任主義の原則に反する違法な処分であるというのである。

しかしながら、いやしくもホテル経営の任にある者は、その在任時における利用客らの生命、身体、財産の安全を確保するため、その責任において、消防用設備等についても消防法令の定める基準に適合したものを設置すべきことは当然のことであり、もし或る者甲が他の者乙が経営して来たホテルについて全面的に乙と交替して経営を引き継ぐ場合、引継ぎの時点においてホテル建物の消防用設備等につき消防法令の定める基準に適合しない箇所が存したとしても、甲は、爾後みずからの責任において消防法令に適合したものを設置すべく努めなければならないものであって(もしその早急な設置が資金調達上困難であると判断すれば、消防法令違反及び事故発生の際の責任を避けたいのであれば、経営の移譲など受けるべきではなく、又は設置まで営業を休止すべきである。)、特別の事情がない以上、後日火災による死傷事件が発生したとしても、乙に業務上過失致死傷罪の責任を問うことはできないことであり、まして、甲は乙の責任を云々して自己の責任を免れることは到底できないことである(この理は、少なくとも、本件のように、経営の承継後火災発生時まで二年八か月もの期間が経過しているときは、一層当然のことといわなければならない。)。すなわち、本件において、ホテル・ニュージャパンの前社長が起訴されていないのに、被告人が起訴され、処罰されたからといって、何ら刑法に違反するものではなく、原判決の判断は、結論において正当であり、所論は、その余の点について判断するまでもなく失当である。論旨は理由がない。

なお、所論中には、本件火災発生当時、ホテル・ニュージャパンのスプリンクラー設備又は代替防火区画の設置の努力が実を結びつつあったと述べる箇所があるが、原審証拠上、右の当時、設置が必要とされていた部分の全部について設置の確たる見込みが立っていたことを、窮わせる証拠はない。

第四弁護人ら連名の控訴趣意書第四点(控訴趣意補充書その三及びその五による補充を含む。)について

所論は、原判決には被告人が監督者であるということだけで安易に刑法二一一条の過失責任を肯定した違法があるといい、大要以下のとおり主張する。すなわち、被告人はホテル・ニュージャパンの社長であり、幡野政男は支配人であったから、両者は監督し、監督される関係にあったことはいうまでもなく、問題は、そのような一般的な関係にある両者が本件火災事故について、相互にどういう位置にあったかである(以下、被告人が本件建物の管理権原者又はそれに準ずる者であることを一応肯定することにして論を進めることにする。)。被告人は、ホテル・ニュージャパンの社長であると同時に東洋郵船グループの統括者であるから、ホテル・ニュージャパンの社長業に専心しているわけには行かず、一方、幡野は、ホテル・ニュージャパン発足当時からの社員で、累進して支配人となり、被告人から消防法所定の防火管理者に選任されて本件発生当時に至っている。原判決(一九頁以下)の判示する被告人と幡野の各注意義務を比較すると、被告人に課されているスプリンクラー設備又は代替防火区画を設置する義務を除いて(これについては、後に主張する。)、内容的にはほとんど変わりはないが、二人のうちどちらに重点を置くかといえば、幡野にまず注意義務の履行を求め、足りないところがあれば監督者である被告人が幡野に注意し、不足する点を補わせ、又は他に補う方法を考えるのが順序であろう。それが監督者の責任の本質である。監督者であれば、被監督者に過失責任を生ずる以上みずからも同じ過失責任を負わなければならないとすれば、結局結果責任を負わせることになり、刑事責任の本質にかかわる問題を生ずる。刑法上の過失致死傷罪においていかなる場合に監督者が過失ありとして同罪の適用を受けることになるべきかを考えると、被監督者の注意義務違反が著しく、このまま放置すれば人の生命、身体に危害の及ぶおそれが具体的に予見されるような状況となったのに、その状況を知りながら、又はうっかりして知らないで、監督権を行使しなかったような場合であろう。本件ではそこまでの事情は証拠上存在を認めることはできず、そうすれば、被告人に刑法上の過失致死傷罪の責任を問うことはできない。本件火災事故についての刑事上の責任は、被告人よりも幡野に多く存したと見るのが相当である。原判決は、それを逆に見ているが、結果が大きかったことと、被告人がホテルのトップにあって、しかも一見特異なキャラクターの持ち主であることが逆の見方となって現れたのであろう。刑法は、そのようなことで責任の重さを決めることを拒否するものであり、原判決は、刑法の基本的考え方に反する違法な判断をしたものである。最近における判例(最高裁昭和六三年一〇月二七日第一小法廷判決・刑集四二巻八号一一〇九頁)は、塩素ガスの流出事故について、未熟練技術員を指導監督する立場にあった者について一定範囲の監督義務を否定したが、この判例の趣旨は、被告人の幡野に対する監督関係について一層強く適用されるものである。すなわち、上述のことをいいかえれば、被告人は、幡野を防火管理者に選任し、ホテル・ニュージャパンの建物の消防用設備の点検等や消防訓練等の防火管理業務を行わせていたものであるが(消防法八条)、防火管理者は法令上の資格を有するものであり、また、幡野は、昭和三四年にホテル・ニュージャパンに入社して以来永く総務関係の業務に従事し、被告人が同社の社長に就任する以前の昭和五〇年九月に総務部長となり、消防関係の事務等を担当していた同部営繕課なども指導監督する立場にあったものであるから、被告人は、防火管理業務を順守してくれるものと信頼していたもので、この信頼は当然許されよう。もちろん、被告人として消防署から措置命令や行政指導を受けた場合にはこれに従うべきであり(消防法八条四項)、防火管理者から必要に応じて指示を求められた場合には指示を与えなければならないが(消防法施行令四条)、被告人は、消防署から措置命令や行政指導を受けたことも、幡野から指示を求められたことも一切なかったものである。以上のとおりであるから、原判決が被告人に幡野を指揮して消防設備の点検等や消防訓練等の防火管理業務を行う義務を課したことは、監督過失に関する法解釈を誤った違法のものである。所論は、以上のように主張する。

しかしながら、原判決の判示する事実によれば、

(一)  ホテル・ニュージャパンの役員構成は、前記第一において述べたとおりであって、昭和五四年一〇月に西吾平が取締役を辞任した後は、会社運営を実質的に担っていたのは、代表取締役社長の被告人と取締役副社長の横井邦彦だけであった。

(二)  ホテル・ニュージャパンの運営状況を見ると、被告人の社長就任後はそれ以前と違って被告人のワンマン経営の様相を呈し,すなわち、指揮命令系統を無視して部課長を集め、あるいは直接担当者に指示するなどしたため、以前にあった常務会や営業会議等は間もなく立ち消えとなり、予算編成も行われず、支出を必要とする都度稟議を上げるという場当たり的なものとなった。その稟議も、以前は一〇万円以上の費用を伴うものなどについて必要とされ、また、ほとんどそのまま承認されていたが、被告人は、一万円以上の支出を要するものについてすべて社長である被告人の決裁を要求した上、支出を極端に削減したため、日常の食料品の仕入れなどの支払いさえ支障を来たすようになり、消防設備の保守、点検にも差し支えるほどで、幡野らは、副社長横井邦彦の了解を取り付けて、被告人の決裁なしに何とか日常的な費用の処理や所要の支出等を賄う有様であった。

(三)  被告人は、ホテル・ニュージャパンの合理化対策の一環として大幅な人員削減を目論み、労働組合に対し強硬な姿勢で臨んだために労使紛争も絶えず、さらに極端な配置転換や懲戒処分等を頻繁に行ったりしたために嫌気のさした従業員が次々と退職するなどして(幡野も昭和五六年六月に退職を申し出たが、被告人の反対で取り止めになった経緯がある。)、被告人の社長就任時にパートタイマーを含めて約四一〇名いた従業員(そのうち正規の従業員約三二〇名)が本件火災当時は一八〇名足らず(そのうち正規の従業員一三四名)にまで激減し、都心の主要なホテルに比してかなり少ない状況になっていた上に、従業員らの仕事に対する意欲も、仕事量の急激な増加、給料の遅配等から来る不安などのために、著しく減退している状態であった。

(四)  本件建物は、敷地面積約八七五二平方メートル、鉄骨、鉄筋コンクリート造り陸屋根、地下二階、地上一〇階、塔屋四階建(延床面積約四万五八七六平方メートル)、客室約四二〇室、宿泊定員約七八二名を擁する建物であるが、その内部の天井、壁面の大部分にはベニヤ板に可燃性クロスを貼り、大半の客室等の出入口扉には木製のものを用い、客室壁面、パイプシャフトスペースなどの随所に間隙があるなど、一旦出火すれば火煙が伝走、拡大し易い状態であり、主として客室、貸事務所として利用されていた四階以上の部分は中央ホールを中心として約一二〇度の角度で棟が三方面に延び、その各棟がさらに同様のY字三差型となっている複雑な構造である上に、五、六、八ないし一〇階にはスプリンクラー設備又はこれに代わる防火区画(後記(五)参照)は全く設置されていないなど、建物内から火災が発生した場合には、火煙が急速に建物内を伝走して火災が拡大し、適切な通報、避難誘導等を欠けば、多数の宿泊客らを安全に避難させることが困難な状態となってその生命、身体に危険を及ぼすおそれのあることが十分に予見された。

(五)  本件建物(昭和三五年ホテル営業開始)は、多数の収容人員を有する大規模な高層ホテルであるために、消防法令上、従前から、政令で定める防火対象物として、その関係者(消防法一七条一項)は、消防用設備等を設置、維持する義務が課されていたところ、その消防用設備等のうち屋内消火栓、消火器、自動火災報知設備、避難はしご等の避難用設備等は、おおむね消防法令に合致して設置されていた。しかし、昭和四九年に消防法の一部が改正された結果、スプリンクラー設備、屋内消火栓の非常電源等の設置が新たに義務づけられた上、既存建物のホテル等についても、昭和五四年四月一日からこの設置義務の規定が遡及して適用されることになり(以下、「遡及工事」というときは、この遡及適用に基づく設置工事を指す。)、本件建物についても、地下二階電気室等を除くほぼ全館にスプリンクラー設備等を昭和五四年三月末日までに設置しなければならなかったが、スプリンクラー設備設置義務の規定は、これに代わる一定の防火区画(以下、「代替防火区画」又は「防火区画」という。)を設けることによって適用を免れることになっていた。しかし、その実施状況は、被告人のホテル・ニュージャパン社長就任前は、一階ないし三階の一部並びに地下室にスプリンクラー設備を、一階ないし三階の残部並びに四階以上に代替防火区画を設置する方針がとられたものの、四、七階に代替防火区画が設置され、また、スプリンクラー設置作業が一部着手されたにとどまっており、社長就任後も、消防当局の度重なる指導にもかかわらず、本件火災時に至るまで、スプリンクラー設置作業が一部進んだだけで、五、六、八ないし一〇階には代替防火区画が未だ全く設置されていなかった(被告人は、消防法令上遡及工事の必要なことを十分承知していながらこれを怠っていた)というものであった、

というのであり、原審証拠によれば、以上の認定は正当である。

さらに、関係証拠によれば、本件建物に関しては、消防用設備等ばかりでなく、防火管理についても、消防当局による立入検査の都度、被告人宛ての「立入検査結果通知書」をもって数多くの問題点が指摘され、改善方を指導されて、被告人は数多くの問題点のあることを十分認識していたことは後記第六において判示するとおりである。

そして、以上のような本件の特異な事実関係のもとにおいては、被告人として、幡野を防火管理者に選任し、同人に防火管理業務を行わせることにした以上、消防署から被告人本人に面接するなどして直々に命令や指導があり、あるいは幡野から改まって指示を求めて来るというようなことがない限り、防火管理業務の監督義務の履行に特に欠けるところはないなどとは、到底いうことができない。すなわち、本件建物自体消防上甚だ大きな問題点を含むものであるのに、一部を除いて法令上必要なスプリンクラー設備又は代替防火区画の設置さえ行われておらず、従って、消防対策上防火管理業務が極めて重要性を増している状況にあるばかりでなく、被告人は、社長就任以来、営利のために支出を強く抑制する経営方針をとり、従業員の大幅な人員削減や配置転換を行ったが、これらはいずれも防火管理の方面に悪影響を及ぼすおそれのあることであり、しかも、現に消防当局の立入検査の都度数多くの防火管理上の問題点が指摘され、被告人は、そのような問題点のあることを十分に認識していたのであるから、本件建物の管理権原者として、消防署から直々に口頭で命令や指導を受け、あるいは幡野から改まって指示を求められることがなくても、平素から防火管理業務の実施状況の把握に努め、その早急な改善を期して、防火管理者の幡野を厳しく指揮監督すべきことは、当然のことであったといわなければならないのである。

所論は、被告人の幡野に対する監督義務には不履行はなかった旨縷々主張するが、それは、畢竟、右のような本件の特異な事実関係を捨象して、このような特異な事情のない会社等の組織における監督者と被監督者、あるいは管理権原者と防火管理者との関係の一般論をもって本件を律しようとするものであって、本件に適用し得ない論というほかはなく、なお、被告人は東洋郵船グループの統括者であるからホテル・ニュージャパンの社長業に専念しているわけには行かないとの論のごときは、少なくとも右に摘示した本件の事実関係のもとにおいては、到底被告人の責任を免れさせる理由とすることはできず、また、監督者は、被監督者の注意義務違反が著しく、そのまま放置すれば人の生命、身体に危害の及ぶおそれが具体的に予見されるような状況となったのに監督権を行使しなかった場合に初めて過失致死傷罪の責任を負うと解すべきであり、本件においてはそのような状況はなかったとの論のごときも、独自の見解であって採るを得ないばかりでなく、かりに所論の見解に沿った見地に立つとしても、右に摘示した本件事実関係のもとにおいては、被告人として監督権を行使すべきであったと見ることができるものである。その他所論が援用する判例、裁判例、学説はいずれも本件と事案を異にし、適切ではない。論旨は理由がない。

なお、所論中には、原判決が被告人に代替防火区画設置の注意義務を課した点を誤りであるとする箇所もあるが、これについては、後記第九において判断を示すことにする。

第五弁護人ら連名の控訴趣意書第五点について

一  総説

所論は、要するに、原判決には、被告人の過失責任認定の前提となる遡及工事実施の資力につき事実の誤認があり、当時ホテル・ニュージャパンにはそのような工事を行う資力上の余裕はなかったというのである。

よって検討すると、原判決(一九頁)は、被告人の本件注意義務の一つとして、本件建物につき、消防法令上の設置基準に従い、スプリンクラー設備又は代替防火区画(客室階では、廊下を四〇〇平方メートル区画、客室等の部分を一〇〇平方メートル区画とするもの)を設置すべきであったと認定し(いわゆる遡及工事。原判決一一三頁参照)、補足説明(一六〇頁)として、

<証拠<1>ないし<13>>等の証拠により、その工事の資金には、東洋郵船株式会社(以下、「東洋郵船」という。)からの長期借入金、東京都の買収予定地(ホテル・ニュージャパン玄関前の土地)を東京都へ売却した場合に取得する代金、ホテル・ニュージャパンの敷地中の私道部分の売却代金を充てることができた旨を判示しているところ、原判決の掲げる右各証拠その他の関係証拠によれば、原判決の右判断は、正当としてこれを是認することができる。

なお、所論中には、「原判決は防火区画設置費用もあいまいにしたまま」その設置が経済上可能であったように論じているとする点があるが、原判決(一六〇頁)は、いわゆるA案(原判決一三二頁)に従った遡及工事(一部施行後の残工事)の見積額を約五億円と認定しているから、費用が曖昧であるとの批難は当たらない。

二  ホテル経営者としての遡及工事実施義務の重要性

所論は、論旨の総括として、「もっとも、被告人の統括する東洋郵船グループの資力、被告人個人の資産を結集し、他の諸事業を犠牲にして消防用設備に力を注げば、スプリンクラー設備ないし代替防火区画の設置ぐらいはできたかも知れない。しかし、企業の経営者は、仕事全体の中から重点項目を定め、その重要度に応じて経費を配分し、企業全体がその生命力を維持し得るよう配慮するのが任務であるから、企業の生命力が絶えてもかまわず消防に力を入れるということはできない。火災により多数の犠牲者の出た現在から見ればもっと防火に重点を置くべきであったといえても、それは結果論であって、企業経営者の経営過程の中でそう考えることは不可能を強いるものである。被告人にスプリンクラー設備または代替防火区画の不設置または一部設置にとどまる不都合があっても、そしてそれが無理をすれば完全設置が可能であったとしてもその無理がどの程度のものであったかについて、経営と防火という調整困難な問題に十分配慮を加えた上結論を導かねばならないものと考える。原判決にはそのような配慮をしなかった誤りがある。」と主張する。所論は、畢竟、ホテル企業の経営者といえども、企業の生命力が絶えないようにこれを維持するために必要とあれば、消防法令上必要な消防用設備等の設置を後回しにすることもやむを得ないと考えるものと解せられる。

思うに、被告人の遡及工事実施の義務を検討するにあたって、所論が右のような考え方に立脚するのは基本的に誤りであるといわざるを得ないので、まず、この義務の重要性の点から考察することにする。

所論の考え方を誤りとする理由は、以下のとおりである。

(1)  まず、ホテル建物について消防法令上の基準に従った消防用設備等を設置すべきことは、ホテル経営者にとって、宿泊客の安全確保のため、他の事項に優先して配慮しなければならない事柄であり、消防法上の義務でもあるのである(消防法一七条一項)。殊に本件建物は、原判決(一七頁)の認定するように、「内部の天井、壁面の大部分にはベニヤ板に可燃性クロスを貼り、大半の客室等の出入口扉には木製のものを用い、客室壁面、パイプシャフトスペースなどの随所に間隙があるなど、いったん出火すれば火煙が伝走、拡大し易い状態であ」り、その上、「四階以上の部分は、中央ホールを中心として約一二〇度の角度で三方向に棟が延び、その各棟が更に同様のY字三差型となっている複雑な構造であ」ったというのであるから、右の配慮の必要性は一層切実であったはずである。無論、所論も、ホテルにおける消防用設備工事の重要性を無下に軽視するものではないであろうが、所論がホテル企業の生命力が絶えないようにこれを維持するために必要とあれば消防用設備工事を後回しにしてもよいとする点は、ホテル経営上の宿泊客の安全確保に対する配慮と消防法令に対する尊重とに欠けるものといわなければならない(所論の論理に従えば、消防当局の昭和五六年九月一一日付スプリンクラー設置命令の効力はどうであろうか。ホテル・ニュージャパンにおいて、本件火災後本件建物を修繕、復元しさえすれば、スプリンクラー設備又は代替防火区画を設置しなくとも、それが会社の生命力を維持するために工事資金上やむを得ないことであれば、営業を再開して妨げないということにならないであろうか。)。

しかも、本件ホテル・ニュージャパンは、東京都心部の著名な大ホテルであるから、これに宿泊を申し込む客は、当然このホテルが消防法令上の基準に合致した消防用設備を備えているものと信頼しているものであり、従って、少なくともスプリンクラー設備又は代替防火区画等の基本的な消防用設備を備えないままに客を募ることは、客を欺くに等しいといわれても仕方がないといわなければならず、ホテル経営者として最も心すべきことでなければならない(本件火災当夜本件ホテルに宿泊していて脱出し得た客の一人は、「人の命を預かるホテルとして、スプリンクラーも備えず、従業員に誘導させる指導もしないというのは、ビジネスマンとしても人間としても許せません。」と述べている<証拠>。また、他の一人は、火災当時ホテル側から何らの通報、誘導もなかったことを述べたのち、「スプリンクラーがないことに気付いていたかという質問ですが、今時どこのホテルでもスプリンクラーはあるものだと思っており、全く気にしませんでした。」と述べている。<証拠>)。

もし消防用設備に不備のあるホテルについて、所要の設備工事に費用を支出すると、経営が圧迫され、経営の継続ができなくなるという場合があるとすれば、消防用設備に不備のあることを知らない利用客が保護されるためにも、ホテルの経営者は、少なくとも基本的な設備について工事資金の調達ができない以上は経営を断念すべきであり、又は資金の調達ができて設備工事が終了するまでは営業を休止すべきであるとするのが、道理というものであろう(もっとも、このようにいうことは、消防当局の措置に対して経営者に不服がある場合、その不服申立の権利を無視するものではない。ただ、不服の申立自体は、火災事故に基づく責任を免れさせるものではないことも明らかである。)。

(2)  また、右の理は、当時ホテル・ニュージャパンが多額の負債を抱えていて、その利息金の支払いや元金の返済、営業上の資金繰りに追われる状況にあったとしても、変わるものではない。けだし、このような状況は、不可抗力的に突然に生じたものではなく、原判決(五頁)も認定しているように、被告人は、昭和五四年三月、ホテル・ニュージャパンの財政状態をも考慮の上、同ホテルの当時の大株主である大日本製糖株式会社(以下、「大日本製糖」という。)と契約を結び、同会社から同ホテルの株式を取得し、同年五月にその経営者となったものであるところ、宿泊客等の安全確保に特に配慮を要するホテルの経営者となるについては、事前に建物を点検し、消防法令との関係を調査し、遡及工事のような消防用設備工事が必要かどうか、必要ならば幾許の費用を要するか等を検討した上、もし工事が必要であるならば、当然、その費用の金額を折り込んでホテルの買収価格(右契約における株式取得価格をいう。以下同じ。)を決定する等の措置をとるべきものであったからである。

なお、被告人が、ホテル・ニュージャパンの買収に際して右のような措置をとった形跡は窺われず(当時の経理関係者井原弘も、原審第二七回公判において、事前に右調査をしなかったと証言している。<証拠>。原審において公判調書中の供述記載が証拠とされている場合も、当該公判における供述として引用する。以下同じ。)、また、被告人自身、原審公判廷で「もし社長就任時に遡及工事の必要性を知っていたならば、大日本製糖に対し買収価格を値引きさせていた」旨を供述しているものの(<証拠>)、実際には、遡及工事の必要性を知った時期以後において、遡及工事実施のためにその工事費相当額の返還を大日本製糖に要求した形跡も窺われない。

ちなみに、被告人は、原審公判廷において、ホテル・ニュージャパンの建物についての遡及工事の必要性を知ったのは、同社の社長になった昭和五四年五月よりも「大分後だったと思う」旨供述しているが(<証拠>)、原審証拠上、被告人が右必要性を知った時期は、右供述とは異なり、遅くとも、原判決(一五四頁)の判示する、同年四月二五日ホテル・ニュージャパンの労働組合員らと会見した時、ないし同年五月二八日社長就任後にホテル・ニュージャパン館内を巡視した時と認められる(<証拠>その他の、被告人が買収前から防火設備の不備ないし遡及工事の必要性を知っていたことを窺わせる証拠もあるが、遅くとも、右のとおり認められる。)。

いずれにしても、被告人がホテル・ニュージャパンを買収して社長になった後になって、資金のないことを理由に遡及工事の不実施(遷延を含む。)を正当化できないことは明らかである。

(3)  以上(1) 及び(2) で述べた理の一斑は、被告人自身も理解していたと認められる。すなわち、被告人は、昭和五七年一二月九日付検察官調書(<証拠>)中で、「私は、すでに船原ホテルやパシフィック茅ヶ崎を経営していたから、ホテルには防火設備を完備しなければならないことはよくわかっていた」旨を供述し(<証拠>)、昭和五七年一一月二八日付検察官調書(証拠)中で、「私は、スプリンクラーとか防火区画という消防設備がホテル・ニュージャパンに備え(られ)なければ、万一火が出た時に火事が大きくなって、大勢のお客様の命にもかかわる重大なことになるということは社長に就任した当時からよく分かっておりました。ホテルを経営する最高責任者の立場にあった私が、お客様に安全に泊まっていただくためにも防災設備については効果的な消火設備を設けるなどしておくべきことは、当然だったのです」、「本気で防災の工事をやろうとすれば、何とかやり遂げる位の金を作ることができたのではないかと思います。頭の中では防災工事が必要だと分かっていながら、まさかうちのホテルに限ってという気持が工事を延び延びにさせてしま」ったと供述し(<証拠>)、また、昭和五七年一二月四日付検察官調書(<証拠>)中で、「自分の腹の中に消防の強引なやり方がどうも気に入らなかったのと、まさかニュージャパンで火事が現実に起きるとは思わなかったこともあって、ついお客様の安全を軽く考え、また資金繰りに追われて意識が防災工事や消防設備の点検修理、あるいは従業員に対する避難訓練等から遠ざかってしまったのが実情です。ホテルは、何よりもお客様の安全を守ることが第一なのに、そこまで意識が回らなかったわけで、今回の火災で多数の死傷者を出したことについて大変申し訳ないと思っています」と供述している(<証拠>)ものである。

なお、被告人は、原審公判廷における供述の中で、被告人の検察官調書中の不利益供述について、その任意性、信用性を否定する趣旨のことを述べているが(たとえば、<証拠>)、被告人の検察官調書は、すべて原審において証拠とすることの同意があって取り調べられたものであり、その調書中の不利益供述につき、被告人の右公判供述に沿うような証拠は、原審証拠上他に認められず、また、各供述調書の記載内容も、不自然なところもなく、被告人に有利な供述も記載されていることや、他の関係証拠にも照らして、不利益供述部分の任意性、信用性に特に疑いを挟むことはできない。

以上のとおり、所論の考え方は誤りであり、被告人は、本件建物の「関係者」(消防法一七条一項)として、遡及工事の実施のために、手持ちの資金を他に優先してこれに充て、又は早急にその資金の調達を図らなければならなかったものであって、以下において所論を検討するにあたっても、このような見地から考察しなければならない。

三  東洋郵船からの長期借入金の繰上げ返済

原判決(一六一頁)は、「ホテル・ニュージャパンは、大日本製糖への合計約四八億円の債務返済資金として、東洋郵船から、昭和五四年三月三一日、約九億九〇〇〇万円を、利息年八分、昭和五四年六月から昭和六二年八月までの九九回の分割払い(毎月約一〇〇〇万円宛)の約定で借入れていたが、株式取得によって同ホテルの実質的な経営者となった被告人横井は、昭和五四年四月四日に同ホテルの売上金等から二億円を東洋郵船に繰上げ返済させたほか、社長就任後には、一方では同年六月に同ホテルの諸支払を一時停止し、同年七月に銀行から約一億五〇〇〇万円、同年九月二六日には生命保険会社から四億円(利息年八分五厘)の借入れをさせるなどしながら、木村経理部次長らの反対を押し切って、同年末までに、前記元金残額全部を東洋郵船に繰上げ返済した(その内訳は、同年六月一三日約二億四〇〇〇万円、同年八月一日二〇〇〇万円、同年九月二七日二億八〇〇〇万円、同年一一月二九日六〇〇〇万円、同年一二月三一日一億九〇〇〇万円)。なお、右繰上げ返済の理由について、被告人横井は、木村次長に対して、親会社依存の体質を断ち切る必要があると当時述べていただけであり、右返済金もその大半は、東洋郵船で格別緊急に処理する必要性の認められないものに用いられていた。」と認定しているところ、所論は、これを論難するものである。

(1)  早期返済の約定の点について

所論は、ホテル・ニュージャパンの東洋郵船からの長期借入金九億八九〇〇万円(原判決が「約九億九〇〇〇万円」と表示しているもの)について、「これは、ホテル・ニュージャパンの前経営者の契約書上は金融機関からの借入と同様な長期借入れの形にしてほしいという要望からそうなったのであって、当事者間では、資金繰りがつけば早急に返済するということが考えられていたものである。」と主張する。

よって検討すると、ここでの問題は、当時東洋郵船の経営者であって、株式取得によりホテル・ニュージャパンの実質的な経営者にもなった被告人の単なる腹づもり(ホテル・ニュージャパン経理部次長木村讃は、前記検察官調書中において、「横井社長は、契約書上は昭和六二年までの割賦返済を条件に((東洋郵船からホテル・ニュージャパンに))貸付を行っているが、初めから((東洋郵船への))短期返済をもくろんでいたのではないかと、昭和五四年当時思っていた」旨を供述している。<証拠>)ではなく、右借入金の契約当時、ホテル・ニュージャパンが、東洋郵船に対し、契約書上の長期返済の約定にもかかわらず、「資金繰りがつけば早急に返済する」旨の、契約書外の法的拘束力を受ける約定が締結されていたかどうかである。

しかし、<証拠>によれば、これらの供述者らは、いずれもホテル・ニュージャパンないし東洋郵船グループ各社の経理事務担当者であるが、上記のような契約外の約定のあったことを全く供述していないのみならず、繰上げ返済が被告人の強い意思に基づいたものであり、その際、被告人は、繰上げ返済の理由として、木村讃らに対し、強く、原判示のように「親会社依存の体質を断ち切る必要がある」旨を述べていたことが認められる。さらに、被告人自身も、昭和五七年一一月二八日付検察官調書(<証拠>)において、この借入金について「これも、どうしてもスプリンクラーや防火区画の工事をする費用が必要だったとすれば、全額といわないまでも三億円か四億円程度は暫く返済を延期して工事費用の方に回すことができたものと思います」と供述しているものである(<証拠>の中にも同旨の供述がある。被告人は、原審第四六回公判において、これらの供述は検察官の誘導によるものであると述べているが((<証拠>))、これらの供述調書の記載内容は不自然なところもなく、被告人に有利なことも書かれているなど、その任意性、信用性に特に疑いを挟むことはできない。)。

以上のとおりであって、所論の早期返済の約定があったことを認めることはできない。

(2)  返済された金員の使途

所論は、原判決が、ホテル・ニュージャパンの東洋郵船に対する「返済金もその大半は、東洋郵船で格別緊急に処理を要する必要性の認められないものに用いられていた」と判示したのは、原審の独断であり、東洋郵船、日本産業、横井産業、鴨川産業の「借入金と利息及び経費支払にあてられているのであって、返済後一部についてその支払いをのばして株式の売買に使用したものもあったが殆どはそのまま緊急の必要性ある支払いに充当されている」と主張する。

しかし、右(1) において掲げた関係各証拠を総合して考察すれば、原判決の右判示は、これを是認することができるところである。

もっとも、<証拠>によれば、「東洋郵船が繰上げ返済を受けた金員は、関係各社勘定を使って東洋郵船グループ各社に流れて行った。各社は、支払利息や保険料といった経費の支払いに充てたり、借入金の返済に充てるほか、株式の購入代金などにも使っていた」というのであるところ、各社における経費の支払いや借入金の返済などはそれぞれ必要があってするものであろうから、その必要性の「緊急」を要する度合いについては、観点により見方を異にするものもあり得よう。しかし、前項二において述べた被告人のホテル・ニュージャパンの経営者としての遡及工事実施義務の重要性から考えるならば、ホテル・ニュージャパンの売上金その他の資産を充てて遡及工事を実施するということをほとんどしようともせず、東洋郵船からの借入金が長期の割賦返済の約定となっているにもかかわらず、ホテル・ニュージャパンの右資産をあえて一途に東洋郵船に対する早期返済に充てたことに、遡及工事実施よりもさらに必要度の高い緊急性があったとは、証拠上これを認め得ないところである。

(3)  木村経理部次長の反対の点

所論は、原判決に「木村経理部次長らの反対を押し切って(中略)繰上げ返済した」とある点について、木村が異議を述べたのは昭和五四年八月一日の二〇〇〇万円の返済についてだけであると主張する。しかし、前記木村讃の昭和五七年一一月二九日付検察官調書によれば、木村が被告人に対し反対の意見を述べたのは、右二〇〇〇万円の返済だけでなかったことが認められる(<証拠>参照)。

四  東京都の買収予定地に関する対応

原判決(一六三頁)は、「ホテル・ニュージャパン正面の道路(外堀通り)に面した玄関前の土地は、東京都における同道路の拡幅計画の収用対象土地とされ、その買収金を遡及工事資金に充てるべく、その買収請求書を都に提出済であったところ、昭和五四年七月その評価価格として総額約七億七〇〇〇万円が呈示されたが、ホテル・ニュージャパンとしては、右買収に応じて着工に至れば、正面前の車寄庇の撤去を要し、駐車場の減少(約二五台分)は生じるものの、それ以外に営業上格別の支障はなく、契約の約一月後に約七億七〇〇〇万円が都から支払われるものとされていた(ただし、大阪銀行、紀陽銀行の抵当権設定があるため、入手額は各抵当権者との話合いの結果による)。ところが、被告人横井は、右評定価格の倍近い価格を主張し、あるいは日比谷高校の土地を代替地として要求するなどして買収に応じようとせず、その後も、同年八月ころからは、木村経理部次長に、遡及工事資金等の調達のために、右買収に積極的に応じるよう進言されるなどしたものの、東京都に対して右土地売却について何らの働きかけも行わなかった。なお、当時右土地と同様に買収の対象とされた赤坂東急プラザ前の土地等については、東急不動産株式会社をはじめとする各土地所有者が各評定価格による買収に応じ、順調に買収計画は進行していた。」と認定しているところ、所論は、これを論難するものである。

(1)  東京都の買収の意図について

所論は、昭和五四年七月東京都の担当吏員廣瀬希一及び同金澤恒治が被告人のもとを訪れ、土地の評定価格約七億七〇〇〇万円を呈示したが、被告人はその価格による買収に応ぜず、話合いはわずか二〇分で終わり、それ以来都からは交渉は一切なく、土地収用手続も行われなかったことから見て、都が真に本件土地を買収しようとしたのかどうか疑問である旨を主張する。しかし、原判決の掲げる前記廣瀬希一及び同金澤恒治の各司法警察員調書によれば、東京都では、評定価格による買収を拒否し、倍近い買収額や代替地を要求する被告人の強硬な態度から話にならないとして、しばらく冷却期間を置くことにしてホテル・ニュージャパンとの交渉を中断したまま日時が経過してしまったものであって、もとより買収の意図がなかったとか、これがなくなったとかいうものではなかったことが明らかである。

(2)  買収によりホテル・ニュージャパンの営業の受ける影響及び買収金額中遡及工事に充て得る額について

所論は、(ア)買収計画の対象となっている土地は、ホテル・ニュージャパン前正面の土地であり、買収されると玄関前に自動車の駐車も不可能になり、人の出入りも不自由になって、ホテル営業上極めて決定的打撃を受けることになるもので、これは一流ホテルといわれるものはほとんど玄関前に広い土地を持って車寄せ及び前庭としていることによっても明らかなことであり、原判決が「ホテル・ニュージャパンとしては、右買収に応じて着工に至れば、正面前の車寄庇の撤去を要し、駐車場の減少(約二五台分)は生じるものの、それ以外に営業上格別の支障はな」いと判示しているのは甚だしい認識不足である旨主張し、また、(イ)この土地は、ホテル・ニュージャパンの生命保険会社等の金融機関からの借入金について保証をした紀陽銀行や大阪銀行の担保に入っていたものであって、東京都から支払われる買収金額がそのままホテル・ニュージャパンに入るものではなく、要するに、この買収金を遡及工事費に充てるなどということは、当時としては考えられなかったものである旨主張する。

しかし、(ア)の主張について検討すると、<証拠>等によれば、ホテル・ニュージャパンが買収に応じて着工に至っても、所論のようにホテルの営業が決定的な打撃を受けるものとは認められず、この点の原判示に誤りがあるということはできない(現に、被告人の前任の藤山社長時代にはホテル・ニュージャパンの方から金策上都に対して早期の買収方を求めているばかりでなく、被告人自身も、都の吏員廣瀬及び金澤と会った時、買収金額が少ない等の理由で都の申入れを拒否したものであって、買収自体が営業に大きな影響を来たすとの理由で買収自体を拒否したものではない。)。

また、(イ)の主張について検討すると、買収計画の対象となっている土地が金融機関に対する担保に供されていたとしても、東京都から支払われる買収金について、遡及工事に必要な額をホテル・ニュージャパンにおいて取得するか、幾分かは担保権者が取得することになるか等のことは、担保権者との話合いによることであり(ホテル・ニュージャパンの経営者である被告人としては、遡及工事が消防法令上必要な工事であることを説いて極力担保権者の協力を求めるべきものである。)、所論のように、この土地が他に担保に供されていることから遡及工事費に充てることは考えられなかったということはできず、また、そのようなことを窺わせる証拠もない。

(3)  その他

所論中には、原判決(一三五頁)がホテル・ニュージャパンが昭和五四年三月二八日に麹町消防署長に提出した「消防法遡及改修工事の継続工事願い」について「当時資金予定としては、外堀通り側敷地の一部が東京都の道路用地として(中略)買収が見込まれていたため、その買収金を充てるものとしていた。」と判示している点に関して、この「土地売却金が遡及工事資金予定に見込まれていたとする原審の事実認定は極めて疑問である。」と主張するところがある。

しかし、<証拠>によれば、原判決の右判示に誤りがあるとは認められない。

以上のとおりであって、東京都による買収に応じて取得する代金を遡及工事に充て得たとする原判決の判断には、取得金のうち担保権者の取得額、租税に充てられるべき額を除くことはあったにしても、誤りはないといわなければならない。

五  私道部分の売却代金

原判決(一六五頁)は、「昭和五六年四月三〇日、ホテル・ニュージャパンは、その敷地の山王グランドビルと隣接する私道部分(二〇九・五五平方メートル)を同ビル所有者の菱進不動産株式会社へ五億五〇〇〇万円で売却しておきなから、被告人横井は、三億五〇〇〇万円で売却したとして、同額のみを同ホテルに入金し、残り二億円は、同年四月三〇日自己の個人名義の銀行口座に入金したうえ、その大半を東洋郵船の支払等に充ててしまった(ただし、約二二五〇万円は本件火災後、その被害関係者への支払に充てられ、約四七〇〇万円は使途不明となっている。)。」と認定しているところ、所論は、これについて、売却金五億五〇〇〇万円を遡及工事費に充て得たはずであるとする原判決の判断を論難するものである。

しかしながら、<証拠>によれば、原判決の右認定及び右私道部分の売却代金を遡及工事に充て得たとする原判決の判断は、これを是認することができるものである。

すなわち、これらの証拠によれば、この売却代金のうち被告人が昭和五六年四月三〇日に受領した二億円は、被告人においてこれをホテル・ニュージャパンに入金せず、ホテル・ニュージャパンとは関係のない使途に支出してしまったものであり、また、同年五月一五日に受領した三億五〇〇〇万円はホテル・ニュージャパンに入金され、同社の使途に支出されたものであるが、遡及工事の前述のような重要性、要急性にかんがみれば、右二億円も三億五〇〇〇万円も当然他に優先して同工事に充てられるべきものであり、また、これに充てることを妨げる事情もなかったことが認められるのである(なお、所論は、昭和五六年四月三〇日受領の二億円のうち、被告人が山田富夫に交付した八二五〇万円は売買の仲介者である同人から要求された仲介料である旨主張するが、右に掲げた山田富夫の検察官調書二通及び被告人の昭和五七年一二月八日付検察官調書によれば、右八二五〇万円は売買仲介料ではなく、山田から要求のあったものではあるが、山田への交付の趣旨は、それ以前に被告人が山田の世話になっていることへの謝礼であって、山田は別に買主側から仲介料として五〇〇〇万円を受領していることが認められる。)。

右のとおりであって、右五億五〇〇〇万円は、そのうち租税に充てられるべき額を除くことはあったとしても、これを遡及工事に充て得たとする原判決の判断に誤りはないといわなければならない。

論旨は理由がない。

第六弁護人ら連名の控訴趣意書第六点について

所論は、要するに、原判決(一九頁)が、被告人に幡野を指揮して消防計画の作成、消火、通報及び避難訓練、防火戸等の防火用、消防用設備等の点検、維持管理等を行わせる注意義務があったのにこれを怠った過失を認めたことを争い、原判決(二九一頁)が、右過失の前提として、弁護人の主張に対する判断中において、被告人は、ホテル・ニュージャパンの社長に就任して以降「部下職員の説明や進言、消防当局の指導等によって、同ホテル建物の欠陥や従業員に対する消防訓練の不実施等の防火管理上の問題点も十分認識していたものと認められる」と判示している点について、被告人にはこのような認識はなかった旨事実の誤認を主張すのものである。

しかし、原審証拠を調査すると、

<証拠<1>ないし<5>>によれば、本件建物に対する東京消防庁麹町消防署の立入検査(ほぼ半年に一回実施された。本件火災前の直近の検査は、昭和五六年八月二八日に実施された。)の都度、検査後に同消防署から「株式会社ホテル・ニュージャパン代表取締役社長横井英樹」宛ての「立入検査結果通知書」が届けられ、それには、毎回、遡及工事の未施工のほか、防火戸等の防火用、消防用設備の欠陥、消防計画の不備、避難訓練の未実施その他数多くの項目にわたる改善を要する問題点が指摘されていたが、幡野は、消防当局から右通知書が届けられた都度そのコピーを被告人に交付して報告していたこと(ただし、地下一、二階のみに関する昭和五五年八月二六日付のものを除く。被告人に通知書原本の閲覧((決裁))を求めなかったのは、被告人が書類を紛失するおそれがあったことによる。)、なお、幡野は、右通知書のコピーを被告人に交付する際、毎回でなかったにしても、被告人に対し、消防署から検査結果通知書が来ているのでよく見て下さい旨その他の言葉を添えて被告人の検討を促していたことが認められる。所論は、被告人はコピーの交付を受けたことはないと主張し、被告人も原審においてそのような供述をしているが(<証拠>)、前掲<1>ないし<4>の証拠に照らして被告人の供述は措信し得ず所論は採ることができない。

右の事実によれば、被告人は、消防当局の指導(立入検査結果通知書の交付も一つの指導ということができる。原判決一二二頁参照)や幡野の報告等によって本件建物の消防用設備の不備及び防火管理上の問題点が数多くあることを十分認識していたものと認められ、この点の原判決の認定を誤りとすることはできないものである。

なお、この点について、<証拠>によれば、被告人も、幡野らを督励して消防計画の作成、消防隊の編成と訓練、消防設備の点検と維持等に遺憾のないようにする必要性を感じていたけれども、これを怠った旨後悔して自供しているが、前記第四の判断中において(一)ないし(五)として摘示したホテル・ニュージャパンの経営の体制、従業員の状況、本件建物の構造と建材等、スプリンクラー又は代替防火区画の不備等、さらには、消防当局から平素数多くの点において厳しく改善を求められていた状況等にかんがみれば、被告人が右の必要性を感じていたことはまことに当然のことというべく、右自供も十分信用に値するものと認められる。

以下、所論の主張する各個の点について判断を示すと、次のとおりである。

(1)  所論は、被告人が本件災害の結果につき過失責任を負うためには、幡野の注意義務違反を知悉していたことが前提となる旨主張する。しかし、所論にいう「知悉」の意味が必ずしも明らかではないが、少なくとも、右に判示したような、本件建物の消防用設備の不備及び防火管理上の問題点の認識がある以上、十分であるというべきである。

(2)  所論は、「消防当局の管理権原者に対する指導は遡及工事に限られ、あとの防火管理面については、防火管理者をして注意を喚起すれば足りると考えていたものと思われる。」と主張するが、消防当局は、立入検査結果通知書(管理権原者である被告人宛てのものであり、また、そこには、前記のとおり、遡及工事の不備のほか、防火管理面の不備が記載されていた。)の交付をもって防火管理面についても管理権原者を指導していたものと見ることができる(原判決一二二頁参照)。

(3)  所論は、原判決が、麹町消防署の指導書(この指導書は遡及工事に関するものである。)をもって、被告人が消防計画の作成等の不実施や、消火設備の点検等の欠陥を十分に認識していたことの理由としていることは全く不当である旨主張する。しかし、原判決(二九二頁)は、右認識の認定理由の一つとして、消防当局の指導を挙げているが、指導書を挙げているものではない。

(4)  所論は、幡野の供述を信用することにして、幡野が被告人に消防当局の立入検査結果通知書のコピーを渡したとしても、幡野には、被告人に対して、遡及工事以外の不備を進言も説明もするつもりがなかった旨主張するが、前掲<1>及び<2>の証拠によれば、幡野としては、右通知書のコピーを被告人に交付すること自体によって遡及工事の不備以外の防火管理上の問題事項を報告していたことが認められ、そうである以上、被告人は、管理権原者として、通知書の内容を真剣に受け止め、幡野を厳しく監督して改善を図るべきことは当然であったといわなければならない。

(5)  所論中には、消防当局による立入検査が必ずしも十分でなかったことを指摘するところがある。しかし、消防用設備及び防火管理体制を整備し、点検維持することは、本来、消防当局の指導を俟つまでもなく、管理権原者である被告人が部下職員を督励して行わせるべきものであったのであり(原判決三一五頁以下参照)、まして本件においては、被告人らホテル側において右の整備、点検維持に十分努力したが、たまたま消防当局の立入検査の際に検査に漏れていたため、ホテル側でも気がつかず、そのことから大事に至ったというような事情は全くなく、消防計画の整備、適切な消防訓練の実施、消防用設備の点検その他の基本的な事項についての努力さえ怠ったのであって、かりに立入検査の際の検査に漏れたものがあったとしても、これをもって被告人の過失を否定する理由とすることはできないところである。

(6)  所論は、昭和五五年一一月の川治温泉プリンスホテルの火災後に、幡野は、被告人に遡及「工事進捗を勧めたが、被告人は工事の金がないから代わりに消火器を買えと指示した。しかし、これを幡野は無視している。つまり幡野は遡及工事以外のそれに代わる防火管理をやる気もなく、その代わりの措置を命じた被告人の指示にも従っていない。とすれば、区画の設置ができない場合に備えての防火管理体制がとられなかったことについて被告人には責任はない」と主張する。しかし、<証拠>によれば、幡野は、川治温泉プリンスホテルの火災後被告人に対しあらためて遡及工事の実施を強く求めたが、被告人は、資金がないと言って実施を拒み、幡野に対し、その代わりに消火器を買うことを命じたけれども、幡野は、消火器は本件建物内に基準どおりに備置されており、消火器を買増ししたところで、それが遡及工事の代わりになるわけではないので、消火器購入の手配をしなかったこと(なお、その後、被告人は、他の者に手配させて消火器一〇〇本を購入したこと)が認められるのであって、これをもって、直ちに、幡野は遡及工事以外の防火管理をやる気がなかったとか、防火管理体制がとられなかったことについて被告人に責任はないとすることのできないことは明らかである。

(7)  所論は、原判決(三一三頁)の「被告人横井の社長就任後、消防当局から消防計画、自衛消防隊編成、消防訓練等の不備、不実行がたびたび指摘され、被告人両名ともその事実を十分に認識していたこと、警備実施要領書で定められていた、火災発生時の対応の前提となる、ホテル側からの防火防災のための通報要領、消防計画の呈示、協議、訓練等が実行されていなかったこと、同ホテルと契約していた警備会社の警備員は、駐車料金徴収の作業に追われて、人的にも時間的にも本来の警備業務を十分に行い得ないような状況にあったことなどの事情からみれば、被告人幡野のみに止まらず、被告人横井においても、従業員及び警備員らが火災発生時に適切な対応ができず、本件のような不手際の生じるおそれのあることは、十分予見することが可能であったものというべく、被告人幡野は、このような不手際が生じることをも前提として、前記のような適切な消防計画の作成、訓練の実施等をすべきであり、被告人横井は、右幡野を指揮して、これらを行わせるべき立場にあったのである。」との判示のうち、被告人に、警備員についても火災発生時における対応の不手際を十分予見することが可能であったとする点を争い、被告人にはそのような予見可能性はなかった旨主張する。

しかし、<証拠>等によれば、警備会社の警備員をして駐車料金を徴収させることは被告人の厳命によるものであったところ、限られた人数の警備員が夜間まで駐車料金徴収作業に追われて本来の警備業務の方がおろそかになるおそれのあったことは、被告人も認識していたものと認められ、原判決が、その他の事情と併せて、被告人に、警備員についても火災発生時に不手際の生じるおそれのあることを十分予見することが可能であったと認定したことを誤りとすることはできず、その他所論が縲々主張する点を考慮して検討しても、この判断を左右することはできない。

(8)  所論は、「遡及工事関係を除く消防設備等の欠陥の主なものは、自動火災報知設備、非常放送設備についてのものであろう。」とした上、これについての「刑事上の過失責任に結びつく監督責任は、直接過失者に近い立場にあった幡野にあったものと考えるべきであろう。幡野の監督者としての過失の存在、その内容、程度等につき知る機会のなかった被告人に刑法上の監督過失の責任を問うにはその前提を欠くものといわなければならない。」と主張するが、この点についての原判決(三一五頁以下)の判断は正当であり、所論のように、幡野の監督責任が先にあり、被告人の監督責任は、幡野の責任違背を知った後監督を怠ったときに初めてこれを問い得るというものではない。

(9)  さらに所論は、「仮に管理権原者が各種訓練が実施されていないことや自衛消防隊の編成がなされていなかったことを認識したからといって、直ちに管理権原者として防火管理者にその実施や編成を指示しなければならないというものではない。その指示が必要であり、有効であるという前提がなくてはならない。つまり、各種訓練の不実施や自衛消防隊未編成の認識だけではなく、その必要性も認識していなくてはならない。幡野は消防訓練の重要性は認識しており、消防からの指摘の都度、市川や米野に『自衛消防隊の編成や訓練はやってくれ。』と言っていた旨供述している<証拠>。従って、仮に被告人が自衛消防隊の未編成を知り、或いは各種訓練未実施を知ったとしても、既に幡野が部下にその手配をしていたのであるから、権原者としてはそれ以上何をすることがあろうか。防火管理者に任せるのに不安がある、とか、防火管理者から社長、権原者に相談したというならともかく、かかる事情は一切ない。」と主張する。

しかし、被告人は、本件建物の大部分について消防法令上必要であり、消防当局から強く設置が要求されていた遡及工事が未施工であり、また本件建物の構造上出火の際の火災の拡大、宿泊客の避難上の混乱等の不安のあること、しかも、消防当局の立入検査の都度消防計画の不備、消防訓練の未実施等多数の問題点が繰り返して指摘されていることをいずれも認識しており(以下において「前記の認識」というときは、この認識を指す。)、さらに、このような消防当局の指摘が繰り返される以上、年来の人員削減、配置転換、営利優先の営業方針等が従業員の士気にどのように影響しているのか、また、防火管理の面においても悪影響を及ぼしているのではないか等の実情の把握に努めるべき状況(以下において「前記の状況」というときは、この状況を指す。)に置かれていたと認められるのであるから、所論の消防訓練の実施や自衛消防組織の編成についても、本件建物の管理権原者として、防火管理者幡野に任せたままにしておくことなく、幡野に対し、未実施、未編成の理由の報告を求め、その対策を検討した上、すみやかにその実施、編成を指示することがまさに必要であったといわなければならず、また、それが社長の指示として有効でもあったと考えられるのである。

所論は、防火管理者に任せるのに不安があるとか、防火管理者である幡野から被告人に相談をするとかのこともなかった旨主張するが、もし被告人が、たとえば消防当局の立入検査結果通知書を真剣に受け止め、実情の把握に努めていたならば、幡野だけに任せておくことには不安があることがわかったはずであり、また、被告人が前記の認識を有し、前記の状況に置かれていた以上、被告人は、幡野から改めて相談を受けなくても、右のようにして幡野に対し消防訓練の実施、自衛消防組織の編成を指示すべきであったものである。

また、所論は、消防計画にせよ、消防訓練にせよ、幡野がその義務を自覚し、(関係職員をして)やらせようとすれば容易にできたはずであり、しかも、幡野は、防火管理者としての専門的教育を受け、管理権原者からの指示を俟つまでもなく、消防当局からの指示で何をすべきかを十分認識していたのであるから、かりに被告人が消防訓練の未実施、自衛消防隊の未編成を知り得たとしても、幡野に何らかの指示をすべきことにはならず、現に伊豆沖地震の時などに被告人は一般防火的な注意は与えているし、消火器購入まで指示している等と主張する。しかし、被告人が前記の認識を有し、また、前記の状況に置かれていた以上、幡野に任せ放しにすることなく、前記のように、みずから幡野にすみやかな編成、実施を指示すべきものであったものである。所論にいう伊豆沖地震の時の職員に対する一般防火的な注意(これについては、<証拠>参照)や、川治温泉のホテルの火災後の消火器購入の指示(前述(6) 参照)をもって被告人の義務を尽くしたとすることはできない。なお、この点の所論中に被告人は遡及工事の未完成以外は知っていないとする箇所があるが、その理由のないことは、すでに判示したとおりである。

以上のとおりであり、さらに所論のその余の点にわたって検討しても、原判決に所論のような事実の誤認があるとすることはできず、論旨は理由がない。

第七依田弁護人の控訴趣意書第一点(同弁護人の控訴趣意補充陳述書その四による補充を含む。)について

所論は、要するに、原判決は、被告人がスプリンクラー設備又は代替防火区画を設置しなかった点を業務上過失致死傷の要件としているが、右の点は、行政法規違反になるにしても、決して反倫理性又は反社会性のあるものではないから、これを刑事犯である業務上過失致死傷の要件としたことは判決に影響を及ぼすべき法令適用の誤りであるというのである。

思うに、業務上過失致死傷罪(刑法二一一条前段)における行為は、業務上必要な注意義務を怠り、よって人を死傷に致すことであるが、この注意義務は、いわゆる開かれた構成要件であって、すなわち、個々の具体的事態に応じて、その懈怠が当該死傷の結果と因果関係があったと判断される注意義務が選択され、措定されるべきものであり、その場合、その注意義務の懈怠自体が反倫理的ないし反社会的なものかどうかといったその性格は問われるところではないのである。

原判決は、スプリンクラー設備又は代替防火区画の設置を被告人の注意義務の一つとし、その設置を怠ったことと本件火災による人の死傷の結果との間に因果関係があると認定しているが(原判決一九頁以下、二五五頁以下)原審証拠上この認定は正当と認められ、そうである以上、右懈怠自体が反倫理的ないし反社会的なものであったかどうかなどは、検討の必要のないものである。所論は独自の見解であり、採るを得ず、論旨は理由がない。

第八依田弁護人の控訴趣意書第二点について

所論は、要するに、原判決は、被告人は幡野政男を指揮して消防計画の作成、消火、通報及び避難訓練、防火戸等の防火用設備の点検、維持を行わせる義務があったとしているが、これらのことは、防火管理者である幡野の義務であって、被告人に幡野を指揮してこれらのことを行わせる義務があったとしたことは、判決に影響を及ぼすべき法令適用の誤りであるというのである。

しかし、前記第四において判示したところから明らかなように、本件の特異な事実関係のもとにおいては、所論のように、消防計画の作成、消火、通報及び避難訓練、防火戸等の防火用設備の点検、維持について、被告人に幡野を指揮監督する注意義務がなかったなどとは到底いうことができないものである。所論中「防火管理者と管理権原者との関係」及び「監督過失責任と防火管理者との関係について」と題する各項の主張は、本件の特異な事実関係を捨象した一般論をもって本件を律しようとするものであって、採るを得ない。

なお、所論中には、原判決中の、結果発生に対する被告人の「予見可能性」についての判示(原判決二九〇頁三行目から二九一頁六行目まで)に関し、過失犯の成立範囲を拡張しすぎて責任主義に反するとする箇所があるが、原判決の右判示自体相当であって、何ら刑法の解釈を誤ったということはできず、また、この点についての所論引用の判例は、いずれも本件と事案を異にするものである。

以上のとおりであって、論旨は理由がない。

第九依田弁護人の控訴趣意書第三点(同弁護人の控訴趣意補充陳述書その二及びその三による補充を含む。)並びに弁護人ら連名の控訴趣意書第四点の一部について

依田弁護人の控訴趣意書第三点(同弁護人の控訴趣意補充陳述書その二及びその三による補充を含む。)の所論は、要するに、原判決は、本件建物に代替防火区画を設置しなかったことをもって被告人の過失の一内容と認定しているが、かりに防火区画が設置されていたとしても、本件致死傷の結果の多くが避けられなかったと認められるから、原判決の右認定は判決に影響を及ぼすべき事実の誤認であるというのである。

さらに、弁護人ら連名の控訴趣意書第四点の所論の一部は、原判決は、もし代替防火区画が設置されていれば、火は発火室及び近隣の数室にとどまったものと認定したが、ビル火災では窓から吹き出す火炎が外壁を伝わって直上階に移る可能性があり、また、本件建物の中で防火区画の設置があったとされる七階にも七四三号室に火が入っていることは原判決の認めるところであって、原判決の右認定は問題であるというのである。

よって検討すると、原判決は、被告人に、本件建物につき、消防法令上の設置基準に従い、スプリンクラー設備又は代替防火区画を設置すべき注意義務があったのに、これを設置しなかった過失があったことを認定し(原判決一九頁)、さらに、弁護人の主張に対する判断中において、スプリンクラー設置義務の適用を免れるのに必要な代替防火区画の構造を判示し(一一〇頁)、進んで、被告人の右注意義務違反と結果発生との因果関係について、<証拠>等の証拠により「本件建物の九、一〇階には、(中略)スプリンクラー設備、代替防火区画はいずれも設置されていなかったが、これらが設置され、正常に作動していれば、本件死傷者の発生は回避できたものと認められる。」と判示した上、そのうち代替防火区画について、「代替防火区画が設置されていた場合には、九、一〇階客室は完全な一〇〇平方メートル以内の区画となり、出火室を含む三室程度が耐火構造で囲まれ,各室ドアは自動閉鎖式甲種防火戸(ドアチェック付鉄扉等)とされ、廊下との区画やパイプシャフト、配管引込み部等の埋戻しも完全になされ、また、廊下は四〇〇平方メートル以内の区画となって、その内装には難燃措置が施され、区画部分には煙感知器連動式甲種防火戸が設置されることとなるので、本件火災時のように客室ドアが開放されたままとなって室内にフラッシュオーバーが生じたり、ドアの燃え抜けにより火災が拡大することは原則としてあり得ず、窓の開放等によって出火室内でフラッシュオーバーが生じたとしても、隣室には窓際木製間仕切り部等を通じて延焼する可能性があるだけで、その炎は一区画内の三室程度に閉じ込められるうえ、その延焼時間が大幅に遅れるため、隣室の宿泊客等の自力避難は十分に可能であったと認められる。したがって、右」(スプリンクラー設備又は代替防火区画の)「いずれかの設備が設置されていれば、本件のような火煙の急速な伝播、火災の拡大による多数の死傷者の発生は未然に防止することが可能であったものということができる。」と判示しているが(二九五頁以下)、原審証拠に徴すれば、原審の右事実認定及び説明は、正当としてこれを是認することができるものである。所論にかんがみ、補足すれば、以下のとおりである。

なお、「フラッシュオーバー」とは、「火災の発生に伴い発生した未燃ガスを含む熱気層が一定空間に滞留し、その熱気層に炎が入り、十分な空気の補給と相まって爆発的に燃え上がる現象」である(原判決一九九頁。<証拠>参照。略称は「FO」である。)。

(1)  同一区画内の被害

所論は、客室の防火区画は一〇〇平方メートルで三室ごとに一区画となっているから、一客室で生じた火災は区画内の他の二室に広がることは当然であり、その区画内の者の被害が想像されるといい、また、原判決は、防火区画が施された場合「各室ドアは自動閉鎖式甲種防火戸(ドアチェック付鉄扉等)とされ」るというが、ドアチェック付ドアであっても、開けてから閉まるまで一〇秒はかかるから、宿泊客が逃げようとしてドアを開けて室外に出た場合、その客室の炎が廊下に出る可能性があり、廊下の壁はベニヤ板に吹付塗装されたままになっているから(原判決は、防火区画の廊下の内装には難燃措置が施されるというが、それもベニヤ板に布を張ったものに防火塗料を吹付塗装したものにすぎず、この程度のものでは難燃措置とはいえない。)、炎は廊下に移って流れて行き、宿泊客がドアを開ければそこから客室に炎が入り、防火区画内の客室に延焼することが考えられ、このことはまた、廊下部分の四〇〇平方メートル防火区画の防火戸についても同様であるというのである。

しかし、本件火災の出火場所が九階の九三八号室であったことは、原判決の認定するところであり、もし九階に防火区画が設置されていたとすれば、九三八号室と隣の九四〇号室及び九四二号室とが一つの防火区画を形成したと認められるところ(<証拠>参照。なお、本件火災当夜九四〇号室及び九四二号室にも宿泊客計三名がいたが、いずれも死亡している。<証拠>)、<証拠>によれば、防火区画が設置されていたとすれば、九三八号室の火が廊下を通じて九四〇号室及び九四二号室に延焼するという事態は起こり得ず、九三八号室の火が直接(廊下を通じないで)隣の九四〇号室に早期に延焼する蓋然性は低く、当然、かりに九四〇号室に延焼したとしても、その火が隣の九四二号室に延焼するにはさらに時間を要し、両室の宿泊客が廊下に出て避難することが火煙によって妨げられることもなかったものと認められ、従って、原判決の判示する被告人のその余の注意義務及び幡野の注意義務が果たされていたならば、警報装置の作動、従業員の適切な救護活動によって右両室の宿泊客が無事救出された蓋然性が高いと推認されるのである。

(2)  同一区画外への延焼等

(ア)  窓側の横板

所論は、客室の窓側(窓台)の隣室との境は、木製の板で仕切られ、(四、七階に見られる)防火区画では区画ごとに木製板には薄鉄板に石膏ボードを貼り付けた板を取り付けてあるが、これらの木製板の上にある横板は、何らの防火設備も施されることなく隣室に続いているために、その横板の焼燬によって炎が防火区画を越えて隣室に広がる可能性があるというのである。

しかし、<証拠>によれば、九三八号室の火災が「九四〇号室との間の窓際仕切壁(木板製)を通して九四〇号室へ早期に延焼する蓋然性は低」い(なお、「もし、九三八号室の窓がなんらかの原因で開口され、大きなFOが起り、延焼したとしても九三八号室と同様その火はとじ込めの状態となる。」)というのであるから、九三八号室の火災が窓際仕切壁の上にある横板(窓際仕切壁の模様については、<証拠>参照)を通して隣の九四〇号室又は九三六号室(同一区画外)へ早期に延焼する蓋然性も低いと認められる。

(イ)  パイプシャフト、配管引込み部分の埋戻し

所論は、原判決は、防火区画について「パイプシャフト、配管引込部分の埋戻しも完全になされ」るというが、いくら防火区画をしても、パイプシャフトスペースから各室への引込み配管の部分の壁面貫通孔の空隙の埋戻しは完全にはできないものであり、現に、本件においても、九階又は一〇階の炎が西ホールの大型パイプシャフトスペースを伝わって下り、七階の七四三号室内に炎が入っているのであって、従って、九階に四階又は七階と同様な防火区画が設置されていたとしても、どこかのパイプシャフトスペースを通じて炎が一〇階に上がったと考えられるというのである。

しかし、<証拠>によれば、ホテル・ニュージャパンの本件建物については、麹町消防署の立入検査においてパイプシャフトの配管貫通部の埋戻し(「埋戻し」の意味については、<証拠>)が不完全である旨が指摘されていたが、ホテル・ニュージャパン側では、消防当局に対し、この点は遡及工事(スプリンクラー設備又は代替防火区画の設置)の際に一緒に改修する旨報告し、消防当局も一応この回答を受理していたことが認められ、すなわち、遅くとも遡及工事の際には、パイプシャフトスペースからの配管引込み部分の埋戻しを補修して完全なものにすることは、ホテル・ニュージャパンにおいて消防当局に約束していたものであって、少なくとも消防当局の検査に合格する程度に右部分の埋戻しができないとは考えられないのである。

のみならず、本件において、九階の火が一〇階及び八階以下の下階へ伝わったのは、九階各所における累次のフラッシュオーバー及びこれに基づく炎のパイプシャフトスペースを通じての伝走であったと認められるが(原判決二一三頁、二二六頁。<証拠>)、もし九階に防火区画が設置されていたならば、右伝走の前提となるフラッシュオーバーは生じなかったものと認められ(<証拠>)、従って、パイプシャフトスペース自体に火災の伝走する余地が残っていたとしても、本件において発生したような伝走は起り得ず、他階への延焼はなかったものと認められるものである。

(ウ)  ドアの隙間等からの煙の流出

所論は、ホテル火災における人身被害は、火よりも煙による場合が多いと考えられるが、防火区画が設置されていたとしても、煙がドアや防火戸の間隙や宿泊客の脱出の際に開けられたドアや防火戸から流れ出ることは、これを防ぎ得なかったはずであるというのである。

しかし、<証拠>に徴すれば、防火区画が設置されていた場合に、廊下への煙の流出が生じたとしても、廊下を通っての避難を全く困難にするような濃度にはなり得なかったものと認められる。

(エ)  窓からの火災の吹上げ

所論は、ビル火災では窓から吹き出す火炎が外壁を伝わって直上階に移る可能性があるというのである。

しかし、代替防火区画が設置されていた場合、かりに九三八号室の火炎が何らかの理由による同室内でのフラッシュオーバー(<証拠>参照)等によりガラス戸を破り、外壁に沿って一〇階に燃え移ることがあったとしても、その延焼には相当時間を要し、従って、その間に多数の宿泊客の避難が可能であり、しかも、燃え移った一〇階でも代替防火区画が効果を発揮したものと考えられる。

(3)  結論

以上のとおりであって、所論の主張する理由をもって、防火区画が設けられていたとしても本件致死傷の結果の多くが避けられなかったと認めることはできず、原判決の認定を誤りとすることはできない。

なお、所論中に半田隆作成の鑑定書二五頁の記載と一七二頁の記載とが矛盾する旨を述べる点もあるが、前者は本件火災跡についての観察を述べたものであり、後者は防火区画が施された場合の予測を述べたものであって、矛盾するということはできず、また、そこに若干言葉の足りない点があったとしても、同鑑定書の信用性に疑いを生ぜしめるものでもない。

論旨は理由がない。

第一〇依田弁護人の控訴趣意書第四点について

所論は、要するに、原判決(三二四頁)は、「量刑の事情」の説示の中で、被告人が既設の消防用設備等の点検、整備費用の支出を極端に抑制し、かつ、従業員の過度の配置転換と大幅な削減を行ったため消防計画の作成、消火、通報及び避難訓練等が行われなかったことが本件致死傷の結果を来たしたと認定しているが、被告人が右費用の支出を抑制したことはなく、消防計画の作成や消防訓練が行われなかったのは被告人がホテル・ニュージャパンの社長に就任する以前からのことであるから、原判決の右認定は判決に影響を及ぼすべき事実の誤認であるというのである。

(1)  既設の消防用設備等の保守点検、整備費用の支出を抑制したことはないとの点について

所論は、被告人は、既設の消防用設備等の保守点検、整備費用の支出を抑制したことはないというのである。

しかし、原判決(一四一頁)は、関係証拠を挙示して、既設の消防用設備等の保守点検、整備費用の支出状況について判示しており、その判示は、関係証拠に徴して正当と認められるところ、ここに判示されている右費用の支出状況に<証拠>等をも加えて考察すれば、所論の、被告人は、「既設の消防用設備等の保守点検、整備費用やホテル維持費等の支出を極端に抑制し」たとの原判示は、これを是認することができるものである。かりに「極端に」との措辞にいささか過ぎる点があるとしても、関係証拠によれば、被告人が右費用を大幅に削減したことは認められるところであり、もとより原判決は、「量刑の事情」中においてこの事項だけを特に重視しているものではなく、広く諸般の事情を考察して被告人の責められるべき情状を判示していることが判文上明らかであり、右の点をもって判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認であるということはできない。

(2)  消防訓練等が行われなかったことは被告人の社長就任以前からであるとの点について

所論は、消防計画の作成、自衛消防隊の編成及び消防訓練が行われなかったのは、被告人の社長就任以前からのことであって、被告人の社長就任後の従業員の人員削減や配置転換によるものではない等と主張する。

しかし、消防計画の作成や自衛消防組織の編成及び消防訓練(以下、「消防訓練等」という。)は、もともと、ホテル・ニュージャパンにおいて被告人の社長就任以前から行われていなかったかどうかに関係なく、被告人の社長就任後は、被告人が本件建物の管理権原者として防火管理者をして行わせるべき責務であったのであるから(原判決一一五頁以下参照)、被告人の社長就任以前に消防訓練等が行われていなかったことをもって被告人の右責務を怠ったことを正当化することはできないところである。

さらに、原判決(一五一頁)が、関係証拠により、ホテル・ニュージャパンでは、被告人の社長就任以前、消防訓練は、総合訓練又は部分訓練を年に三、四回実施していたと認定している点に誤りがあるとは認められず、かりに訓練の回数の点についていささか多過ぎるとの誤りがあったとしても、もとより判決(量刑を含む。)に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認であるということはできない。

また、所論は、原判決が、消防訓練等が行われなかったことは被告人による従業員の人員削減や配置転換のためであると判示しているかのように主張している。しかし、原判決(一七三頁以下)は、消防訓練等が行われなかったことについては、人員削減や配置転換が大きな影響を与えたことを判示しているが、それだけを原因としているものでないことは明らかであるから、所論は、この点については、前提を欠くものである。

以上のとおりであり、さらに所論のその余の点にわたって検討しても、原判決に所論の主張する誤りがあるということはできず、論旨は理由がない。

第一一依田弁護人の控訴趣意書第五点(同弁護人の控訴趣意補充陳述書その四による補充を含む。)について

一  所論の趣旨

所論は、原判決には、本件火災発生後の下記従業員三名の初期消火活動について、判決に影響を及ぼすべき事実の誤認があり、これは、原判決が、本件事故の責任を被告人にのみ重く負わせようとしたために、従業員らの業務上過失行為の責任を軽視し、同人らの弁解のみをもって事実の認定をしたことによるものであり、さらに、消防法二五条一項は、火災発生時における関係者の消火等を行うべき義務を定めているが、下記従業員三名については、この義務に違反する不作為犯の成立さえ想定され得るのであり、三名がこの義務に従った消火活動を行っておりさえすれば、本件のような大災害は生じなかったのに、三名は起訴さえもされず、被告人が禁錮三年の実刑を受けるのは三名の責任まで負わされるものであって、全く不当であるというのである。以下、所論の順序に従って検討する。

二  従業員福永進の行動に関する事実誤認の主張

所論は、要するに、原判決(二四〇頁)は、「福永は、九三二号室横にあった消火栓箱からホースを取り出そうとしたが、不慣れのためこれに手間どったうえ、水圧で持っていたノズルを取り落とし、これを拾おうとしてかがんだ際に煙を吸い込んでめまいを感じ、急ぎ同階サービスステーションへ行」ったと認定しているが、福永が「ノズルを拾おうとしてかがんだ際に煙を吸い込んでめまいを感じ」た事実はなく、福永は、水圧でノズルを落とし、それで怖くなってサービスルームに逃げ込んでしまったものであり、検察官に対する福永の供述調書中の「煙を吸い込んでめまいがした」旨の供述は、単なる言いわけであって、本件火災は、福永がノズルを落としたあとサービスルームに逃げるようなことをしないで、これを拾って消火に当たれば消火し得たものであり、これは同人の業務上義務ある行為であったというのである。

原審証拠を調査して検討すると、福永進は、<証拠>中で、消火ホースが水圧で急にふくらみ、伸びたため(これは同人の知らない間に窪貞男が開栓したためである。)、持っていたノズルを取り落としてしまい、これを拾おうとした時、煙を吸い込み、めまいを感じた旨供述しているところ(<証拠>)、福永のこれらの検察官調書及び証言の全体を通観すれば、同人は本件火災発生当時の状況を記憶の限り具体的に詳しく供述しており、その余の関係証拠とも照合すれば、特段に虚偽を交えて述べているとは認められず、所論の箇所が同人の責任を決する上で大事な点であることを考慮に入れても、特にその点について虚言を述べているとの疑いを挟むことはできない。

所論は、窪貞男の検察官調書(<証拠>)中の「(九階の九三二号室横の)消火栓に触っている時は、鼻や口にハンカチをあてるような煙ではなかったが、サービスステーション(同じ九階にあり、同人はここから警備員室に電話をした。)を出て、もと来た廊下を引き返す時には、ハンカチを口にあてるほどの煙になっていた。ただこの時も、立った状態で従業員エレベーターの方に行っているので、這って歩くほどの煙ではなかった」旨の供述(<証拠>)、及び、廣田幸夫の検察官調書(<証拠>)中の「私は(九三八号室で再び燃え上がった)火を見てから中央ホールの方へ行きかけたが、その時確か福永がホールに近い九三二号室前の消火栓のある前に立って何か消火栓をいじっていたのを見た記憶が残っている。福永が消火栓のどこをどのようにいじっていたかは覚えていないが、そこにいたことだけは間違いない。その頃廊下には九三八号室から出た煙が次第に天井から少し下の方に溜って広がって行くような状況であったが、その頃はまだかなり視界が効いていたように思う」旨の供述(<証拠>)を挙げて、これらの供述からは、福永が落としたノズルを拾うためにかがんだ際に煙を吸い込んでめまいを感ずるほど廊下に煙があったとは考えられない旨主張する。しかし、当時、九三八号室から流れ出て来る煙は刻々に量を増加しつつ流動、推移しており、しかも、当時福永が煙を吸い込んだと供述している場所、時刻は、窪の右体験の位置よりもやや九三八号室に近づいており、また、廣田の右体験の時刻よりも後であったのであって、これらの点を考慮すれば、窪及び廣田の右の各供述をもって福永の供述に疑いがあるとすることはできない。

さらに、所論は、福永の検察官調書(<証拠>)中の「(ア)(取り落とした)ホースを追いかけてこれを掴もうと思い、少し中腰くらいになった時に、私は初めて煙を吸い込んでしまった。(イ)煙を吸い込む前までは咳き込むこともなく普通に息ができており、危険だとも感じなかったが、(ウ)一気に煙を吸い込んでしまったために目の前がクラクラとして真っ暗になってしまった。(エ)目をつぶったのか、黒い煙があったのか、煙を吸い込んだ後のことは私の記憶の中でも全く空白である。(オ)ハッと我に帰り、濡れたタオルが頭に浮かび、濡れたタオルをすれば大丈夫だろうと思い、タオルを捜しにサービスステーションに飛び込んだ」旨の供述(<証拠>)を挙げ、福永の供述自体信用し得ないと主張するので検討する。

すなわち、まず、所論は、右(イ)の供述は正しいと考えられるが、そうであれば、九三八号室から廊下に出た煙は当然上の方から下の方に下りて行くものであるから、(イ)の状況であれば、下の方に煙があったとは考えられないのに、なぜ(ア)や(ウ)に述べるようなことになるのであろうかと主張する。しかし、前述のとおり、当時煙の状態は刻々流動していたものであり、(ア)及び(ウ)の供述が(イ)の供述と矛盾するとはいえず、すなわち、(イ)の供述をもって、直ちに、(ア)、(ウ)の供述に疑いを挟むことはできない。

つぎに、所論は、(エ)の供述にいうように「目をつぶったのか、黒い煙があったのか」わからないということなどあり得ないことではなかろうかと主張するが、福永の当時の狼狽した精神状態を考えると、その記憶が必ずしも明確でないとしてもやむを得ないことであり、一概に右供述を不合理で信用し得ないとすることはできない。

さらに、所論は、(ウ)の状態になった者がそのような煙の中ですぐ(オ)のように「ハッと我に帰」るというようなことがあるであろうか(福永はノズルを落として永くそこにいたものではない)と主張するが、煙を吸い込んで目の前がクラクラとして真っ暗になったとしても、それほど永くない時間に意識を取り戻すということはあり得ることであり、一概に(ウ)と(オ)の各供述が矛盾するということはできない。

以上のとおりであって、所論のように福永の供述自体信用し得ないとすることはできない。

なお、福永は、煙を吸い込んだ後九階のサービスステーションでバスタオルを濡らして覆面をした旨を供述しているが(<証拠>)、廣田幸夫は、同サービスステーションの入口近くで顎か首のあたりに黄色のバスタオルを巻きつけた福永を見た旨供述しており(<証拠>)、福永の供述は廣田の供述によって裏づけられていることが認められる。

以上に考察したとおり、福永が「煙を吸い込んで目まいを感じ」たとの原判決の事実認定を誤りとする所論は、これを採ることができない。

三  従業員廣田幸夫の行動に関する事実誤認の主張

所論は、要するに、廣田幸夫の行動に関する原判決の認定事実(原判決二三四頁三行目以下)のうち、廣田が九三八号室内において消火器を噴射し、一応火災を消し止めたが、その後再び燃え上がったこと、廣田がこれを見て同室付近から立ち去ったこと、その後若干時間を置いて廣田が八階の中央ホール(サービスステーション側)にあった消火器を持って九階のサービスステーションに戻ったこと、その後廣田が九三八号室に向かおうとしたが、福永進から危険だと制止されたために同室に赴かず、下に降りてしまったことは、そのとおりであるが、原判決が、九三八号室の火が再び燃え上がったのを見た廣田が同室付近から立ち去ったのは「急きょ他の消火器をとりに行こうとした」ものであると認定したこと、及び、廣田が九階の、近くに備置されている消火器を持って来なかったのは「その正確な所在を知らなかったため」であると認定したことは、いずれも誤りであって、廣田は、再び燃え上がった火を見て怖くなり、逃げ出したが、思い返して八階の消火器を持って九階のサービスステーションに戻ったものであり、また、消火器は、九階には合計一六本が各所に備置されており、入社以来本事件まで四年のページ係、ルームサービス係としての経験を持ち、消火器による消火訓練を受けたことのある廣田が、九階には、中央ホール以外に、どこに消火器があるかわからなかったということは到底あり得ないことであって、本件火災は、廣田が一度消火器を噴射したあと、再び燃え上がった時に近くの消火器を取って来て、それを噴射することにより当然消火し得たものであり、これは同人の業務上義務ある行為であったというのである。

よって廣田の検察官調書及び原審第二九回公判における証言を調査して検討すると、廣田は、九三八号室内の再び燃え上がった火を見て同室付近から去ったのは他の消火器を取りに行くためであったと明確に述べているものではなく、むしろ、この点の供述は甚だ曖昧であり(<証拠>)、最終的には「正直なところ、消火器を取りに行ったような気もするし、あるいはただ夢中で何とかしなければと思い、中央ホールへ駆けて行ったような気もする」旨述べている(<証拠>)ものであること、また、当時九階には合計一六本の消火器が備置されていたが(ちなみに、八階は九本、一〇階は一四本であった。<証拠>)、廣田には、少なくとも各階の中央ホールには一本又は二本の消火器が備置されているとの認識はあった(なお、実際は二本備置されていた。)のであるから(<証拠>)、廣田が九三八号室付近から去ったのが消火器を取りに行くためであったとすれば、九階中央ホールに行き、当時同所(サービスステーション側)に備置されていた残りの一本の消火器を持って、直ちに九三八号室に引き返したはずであるのに、そのようにしないで、九階の廊下をうろうろと往来していること(<証拠>)等から見ると、廣田が九三八号室内の再び燃え上がった火を見て同室付近から去ったのは、「急きょ他の消火器をとりに行こうとした」ためであるとの原判決の認定は首肯し難く、むしろ恐怖と狼狽によるものであり、その際廣田の気持の中に他の消火器を取って来ようとする意識があったとしても、それは強いものではなかったと考えられる。

さらに、廣田は九三八号室付近を去ってから、中央ホールを抜けて同階の南棟へ赴いているが、同人は、まず、消火器の所在について、「消火器が各階の中央ホールに一、二本づつ置いてあることは、ムールサービスの時などに見かけて知っていた(その他にどこに置いてあるのかは考えたこともなかったし、火事の時も頭に浮かんで来なかった)」旨供述し(<証拠>)、つぎに、九三八号室付近を去ってからの行動について「私は中央ホールの自動販売機の所で二本目の消火器をチラッと探したような気もするが、その点はよく覚えていない。死角になっていて目につかなかったような気もする。」、「とにかく私は自分でその頃どういう行動をとったのか、正直いって今でははっきりしない。とにかく何をしたらよいのか、自分でもわからないような始末だったので、思いつくままに自分なりに考えたことを勝手に行動した(原文どおり。傍点はこの判決において付したもの)ような気がする。ところで、私が南棟の方へ行く時、自分の気持の中に何となく恐ろしい火から遠くへ逃げたいというか、危険な場所から少しでも遠くへ逃げてしまいたいような気持も、いくらかあったような気がする。正直いって、私はあの夜生まれて初めて火事に出会ったもので、内心とても怖い気持がしていた。」、「(それからもう一度中央ホールの方へ戻ったが)何を考えてまた戻って来たのか、今ははっきり覚えていない。恐らく私はもう一度思い直して消火器でも持って来るつもりで、サービスステーションに戻って行ったものと思う。」旨供述しているが(<証拠>)、このような供述に徴すれば、廣田が南棟ホールの方へ行くなどしたのは、消火器の「正確な所在を知らなかったため」であるとの原判決の認定も首肯し難く、恐怖と狼狽によるものであったと考えられる。

以上に検討した結果によると、廣田が九三八号室内の再び燃え上がった火を見て、同室付近を去って南棟ホールの方へ行くなどの行動をして、直ちに他の消火器を持って来ることをしなかったのは、同人の恐怖、狼狽によるものであったと認められ、原判決がこれを「急きょ他の消火器をとりに行こうとしたけれども、その正確な所在を知らなかったため」であると認定したのは、事実を誤認したものといわざるを得ない。

なお、廣田は、消火器の所在について、前記のとおり、各階の中央ホールのほかに「どこに置いてあるのかは考えたこともなかったし、火事の時も頭に浮かんで来なかった」旨供述しているところ、所論は、廣田の従業員としての経歴、経験に徴してこのような供述は信用し難いとするのであるが、この点に関する同人の原審証言(<証拠>)をも併せて検討すれば、同人の右供述を直ちに信用することができないとまで断ずることはできない。いずれにしても、廣田が中央ホール以外にどこに消火器が備置されているかを知らなかったことは、従業員として落度であったというべきである。

四  従業員河原秀夫の行動に関する事実誤認の主張

所論、要するに、原判決(二三七頁)は、「河原は、九階客室のマスターキーを持参し、廣田より少し遅れて九階へ向い、前記のように九三八号室のドアを開けた後、火災発生を宿泊客に知らせるべく、九三八号室周辺の各室に火事ぶれをして回ったが、大事に至らなかった場合、大騒ぎを起したとして、被告人横井から事後叱責されることなどをおそれ、ドアを軽くノックして声をかけただけで大声もださなかった」と認定しているが、河原の検察官調書中右原判決認定事実に関する供述は信用することができず、河原が「火災発生を宿泊客に知らせるべく、九三八号室周辺の各室に火事ぶれをして回った」事実はなく、河原は、九三八号室のドアを開けたのち、全裸の外国人が倒れて来たことで気が動転し、何をしてよいかわからないという状態になって、そのあと中央ホールのエレベーターで一階に降りてしまったものであると考えられ、本件災害は、河原が福永や廣田とともに消火活動を行っていれば起こらなかったのであり、これは河原の業務上義務ある行為であったというのである。

しかし、原審証拠を調査すると、河原は、同人の昭和五七年一〇月六日付検察官調書(<証拠>)中において原判決認定の右事実を供述しているところ、この供述が同人の記憶にもない虚偽のことを述べているものとは認め難く、福永進の昭和五七年九月二一日付検察官調書(<証拠>)中の供述も、原判決認定の河原の行動を裏づけており、所論が縷々主張する点に留意して検討しても、原判決が所論の事実(河原の行動)を認定したことを、それを「火事ぶれ」と呼ぶかどうかは別として、誤りとすることはできず、所論は採ることができない。

五  従業員福永進、同廣田幸夫、同河原秀夫の消火活動の不手際

以上の考察のとおり、原判決には、従業員福永及び同河原の行動については所論の事実誤認はなく、同廣田の行動については所論の事実誤認があると認められる。しかしながら、原判決にこれら所論の事実誤認があるにしても、また、ないにしても、いずれにしても、原判決(三〇四頁、三一一頁)は、これら三名を含む従業員らの初期消火活動に不手際のあったことを認めており、原判決は、このような不手際は、幡野が適切な消防計画の作成、消防訓練の実施等を行い、また被告人が幡野を指揮してこれらを行わせ、もってその注意義務を尽くすことによって防止することができたもので、被告人の本件業務上過失致死傷罪の成立を妨げるものではない旨を判示しているのであって、この判断は、原審証拠に徴して正当と認められる。従って、廣田の行動に関する原判決の事実誤認も、判決に影響を及ぼすことが明らかであるということはできず、また、それ自体、後述のとおり、被告人に対する原判決の量刑を不当ならしめるものということもできない。

以上のとおりであって、論旨は結局理由がない。

第一二弁護人ら連名の控訴趣意書第七点(控訴趣意補充書その三による補充を含む。)について

所論は、要するに、原判決が被告人に禁錮三年の実刑を科したのは、重きに過ぎ、著しく不当であるというのである。

(1)  被告人の過失及び本件結果の各重大性

よって検討すると、本件は、東京都心部の高層ホテルであるホテル・ニュージャパンの代表取締役社長で、本件建物の管理権原者である被告人と、同社の支配人兼総務部長で本件建物の防火管理者である原審共同被告人幡野政男の各過失が競合して、本件建物が昭和五七年二月八日午前三時過ぎごろ大火災を起こし、九、一〇階の大半を焼燬して、宿泊客三二名(うち外国人二一名。火元となった外国人死亡者一名を除く。)を死亡させ、二四名(うち外国人一五名)に重軽傷を負わせたという、甚だ悲惨で衝撃的な事件であるが、原判決が「量刑の事情」として判示しているところは、原審証拠に徴してほぼこれを是認することができるものである。

すなわち、まず、被告人は、ホテル・ニュージャパンの代表取締役社長である上、本件建物の「関係者」(消防法一七条一項)で、かつ、「管理権原者」(同法八条一項)であって、消防法令上の設置基準に従い、スプリンクラー設備又はこれに代わる防火区画を、本件建物のうち一部の既設部分を除く大部分について設置するとともに、防火管理者の幡野を指揮して、防火、消防上必要な諸設備の点検及び維持管理並びに火災発生時における具体的対策その他防火管理に関して必要な事項を定めた消防計画を作成させ、従業員らにこれを周知徹底させ、これに基づく消火、通報及び避難の訓練や、防火用、消防用設備の点検、維持管理等を実施させるなどして、出火に際して、早期にこれを消火し、火煙の伝走、拡大を阻止するとともに、宿泊客らを適切に誘導して安全な場所へ避難させることができるよう万全の防火管理体制を確立し、もって、火災発生時における宿泊客らの生命、身体の安全を確保すべき業務上の注意義務があったのに、これらのことをいずれも怠ったという過失を免れないものであるが、原判決が、「量刑の事情」の中で、被告人が右注意義務を怠った状況等について、「昭和五四年五月ホテル・ニュージャパンの経営を承継して以来、同ホテルの管理権原者として、所轄消防署等から、防火、消防用設備等の不設置や不備、欠陥等について、度重なる指導、勧告さらには命令までも受けながら、その責を前経営者に転嫁し、あるいは赤字経営による資金難を口実としたり、消防法令等の遡及的適用を非難することなどに終始して、法令に定める消防用設備等の設置や消防計画の作成、これに基づく消火、通報、避難等の訓練を怠ったばかりでなく、営利の追及に腐心するあまり、既設の消防用設備等の保守点検、整備費用やホテル維持費等の支出を極端に抑制し、かつ、従業員の大幅な削減を行うなどした結果、本件火災発生時における初期消火の不手際、非常ベルや放送設備、防火戸等消防用設備等の不作動、ホテル館内の異常乾燥等の事態を招き、消防隊員らの迅速、果敢な消火、救助活動にもかかわらず、本件大惨事にまでたち至ったものである。」と説示しているのは相当であり、なお、若干補足すれば、さきに第五の二「ホテル経営者としての遡及工事実施義務の重要性」の箇所において述べたように、いやしくもホテルを買収してホテルの経営を承継しようとする場合、そのホテル建物の消防用設備等が消防法令の定める基準上不備がないかどうかをあらかじめ調査し、もし不備があればその完備に要する費用を織り込んで買収価格を決定する措置をとるのが当然と考えられるのであるが、被告人は、ホテル・ニュージャパンを買収して社長となり、経営を承継するにあたり、全然このような措置をとることもなく、社長となった後、部下の者らから、スプリンクラー設備又は代替防火区画の設置が消防法令上要求されていることを耳にしても、工事資金がない等の理由でこれを怠ったままホテル営業を続けたものである。原判決が、右説示に続けて、「被告人には、多数の人命を預かるホテル経営者として不可欠な、宿泊客の生命、身体の安全確保という最も重要でかつ基本的な心構えに欠けていたものといわなければならない。」と判示しているのは正当というべきであり、被告人の本件過失は甚だ重いといわなければならない(なお、原判決が、被告人は、「ホテル・ニュージャパンに終日常駐していた訳ではなく、防火設備に関する遡及工事等は、法の建て前からすれば、前経営者の時代に本来完了しておくべきものであったこと」を被告人に有利な情状の中に加えている点は、首肯し得ない。これらの事情があったとしても、現にホテルの経営者であり、ホテル建物の管理権原者((消防法八条一項))で関係者((同法一七条一項))である以上、火災の防止、宿泊客の安全確保に万全を期すべき責務の程度に変わりはない。)。

さらに、原判決は、「ホテル・ニュージャパンは、外観から見るかぎり、都心の国際的、近代的高層ホテルとして、内外国人が多数利用していたものであり、本件当夜も外国人宿泊客一九二名を含む三六八名もの宿泊客らが旅行その他で本件ホテルを利用し、そのほとんどの者が安んじて深い眠りについていた夜明け前の時刻に、夢想だにしない本件火災に遭難したものである。」と説示し、つづいて、九、一〇階の宿泊客の悲惨な被害の状況を略述し、被害者や遺族の被害感情に言及しているが、被害者の恐怖、苦痛は言葉に尽くし難く、また、被害者ないし遺族の悲憤と無念さも、察するに余りあるというべきであって(原審証拠上、遺族の検察官調書及び原審公判廷における供述にその一端が示されているところである。)、原判決が断じているように、「本件火災により生じた結果は誠に重大である」といわなければならないのである。

(2)  弁護人の主張する諸点に対する判断

所論は、被告人に対する原判決の量刑が重きに過ぎるとして、その理由を種々主張する。

(ア)  所論は、まず、原判決における被告人に対する量刑は、共犯者幡野政男に対する禁錮一年六月、執行猶予五年の量刑と比較して重きに過ぎるというのである。

しかし、原判決が、「被告人幡野においては、被告人横井の行った大幅な人員削減、予算縮小等の経営方針のため、防火管理者としての責務を十分に果すことが困難な状況にあったともみうるほか、そのような被告人横井のやり方に同調できず、辞意を表明し、これを拒まれたといういきさつの存すること」を幡野のために酌量すべき事情として判示しており、この判示は、原審証拠に照らして正当と認められる(幡野の辞意が被告人に拒まれた経緯については、<証拠>)。そのほか、被告人は、本件ホテルの管理権原者として、一段高い立場から、消防用設備や防火管理についての幡野ら部下職員の報告や進言、消防当局の指導等に率直に耳を傾け、幡野らを適切に指導監督すべきものであったこと等をも考慮すれば、原判決の被告人に対する量刑が幡野に対する量刑に比較して重きに過ぎるということはできない(なお、弁護人は、当審弁論において、幡野は、被告人が消火器五〇〇本の備付けを指示した際に、被告人に無断でこれを一〇〇本にとどめていた等と主張しているが、この点の経緯は、前述第六中の(6) において判示したとおりであり、このような事情があるからといって、右判断が左右されるべきものとは認められない。)。

(イ)  所論は、ホテル・ニュージャパンの従業員福永進、廣田幸夫、河原秀夫、星雅彦、中央警備保障株式会社所属警備員窪貞男、白浜尚隆の初期消火上の誤り、城北防災有限会社(東京都火災報知設備保守協会下請)役員長谷川昭治の自動火災報知設備中の熱感知器に関する保守点検の誤り、千代田ビルサービス株式会社従業員高根右左九らの非常放送設備に関する保守管理の誤りは、いずれも本件火災による死傷の結果に対して業務上の過失を構成するものであったのであり、これらの者の「過失がなかったならば、本件火災は早期に消火できた筈であって、人身事故まで発生しないで済んだかも知れないのである。右の者らの責任は事故に直結するものだけに重いといわざるを得ない。被告人は社長であり、右の者らは従業員または請負業者である。社会的責任は被告人の方が重いという考え方もあろう。しかし、それは社会的責任のことであって、刑事責任は刑事責任として別の法理に基づいて考えなければならない。被告人は社長ではあるが本件火災の結果に対しては間接的な立場に立っている。直接的立場に立つ右の者らが全く刑事責任を問われずに終り、被告人が社長であるために禁錮三年の実刑に処せられるということは結果責任の色彩が強く不当に重いといわざるを得ない。」というのである。

しかし、原判決は、所論の、従業員及び警備員らの初期消火活動上の不手際、並びに、自動火災報知設備及び非常放送設備の保守、点検、整備上の業者の手落ちのあったことを認め、この点を、被告人に対する量刑上斟酌すべき事情の一つとして考慮していることは、原判文上明らかであるところ、所論にかんがみ検討を加えても、原判決(三一二頁以下、三一五頁以下)が詳しく判示しているように、被告人の、消防用設備の設置及び防火管理の両面にわたる本件過失は甚だ重いものであって、所論の点があるからといって、原判決の量刑が重きに過ぎるということはできない。

(ウ) 所論は、被告人が、被害者及び遺族に対する損害賠償や死亡した被害者の慰霊について力を尽くしていることは、原判決においても考慮されているけれども、さらに一層斟酌されるべきである旨主張するが、これについては後記(3) 及び(4) において述べるとおりである。

(エ)  所論は、原判決の量刑は、同種事案と比較しても重きに過ぎるというのであるが、本件は、被告人とされた者の過失の状況等の点において類例のない事案であって、すなわち、所論が援用する裁判例は、いずれも本件と事案を異にし、適切ではないものである。

(オ)  所論は、被告人の社長就任の経緯や同社の累積欠損金減少のための努力が量刑上考慮されるべき旨を主張する。

しかし、被告人がホテル・ニュージャパンの経営者となった経緯がどのようなものであったにしても、多数の人々の生命、身体等の安全を預かるホテルの経営者となるについては、当然、消防の方面においても法令に定められた義務を伴うことを考慮すべきであったものであり、また、経営者となった後は、右義務を果たさなければならない立場に置かれたものであって、累積欠損金を減少させることを理由に右義務の履行を怠ることは許されなかったものである。以上のことについては、すでに第五の二等において判示したとおりである。

(カ)  なお、弁護人は、当審弁論において、被告人は、原判決後真摯な反省の念を深め、その情が顕著である旨を主張している。被告人が後悔の念を深め、後述のとおり、被害者(死亡者)の慰霊、供養に努めるなどしていることは認められるが、原審公判における被告人の、「工事資金がなかったから、スプリンクラーや防火区画を設置しなかったことはやむを得ない。また、消防署の立入検査結果通知書など見ていないし、報告も聞いていなかったから、防火管理上の監督権を行使しなかったこともやむを得ない」旨その他の、自己の本件責任にかかわる供述は、当審において別に改められてはいないものである。

(3)  被告人に有利な情状

もっとも、原判決も、半面、被告人のために酌量すべき情状として、被告人は、「負傷した一名を除くその余の被害者ないしはその遺族等との間で、現時点までに総額一三億円余をもって示談を遂げ、被害者側に対する慰謝のため相応の努力を尽した跡がみられること、被告人両名は、少なくとも道義的には自己の行為について責任を感じて反省の態度を示しており、死亡した被害者らの冥福を祈るとともに慰霊のために種々の具体的方策を講じていること、本件火災がかかる大惨事に至った一因として、初期消火活動や消防用設備等の保守、点検、整備などに関する業者のやり方にも問題がなかったとはいえないこと」を判示している。

さらに、当審における事実の取調べの結果によれば、

(一)  原判決当時和解が未成立であった被害者(負傷者)一名との間でも、昭和六三年一月に和解金を一五〇〇万円として訴訟上の和解が成立し、和解金も支払われたこと、これにより本件被害者(死亡者)の遺族及び被害者(負傷者)との和解はすべて成立し、分割払い和解金も滞りなく支払われており、ほとんどの履行を終えていること(<証拠>)、

(二)  被告人は、被害者(死亡者)の慰霊のために毎年二月に東京の或る寺院において法要を営んで供養をし、その際は韓国や台湾の被害者の遺族らをも招待し、多数の参列を得ており、また、昭和六二年二月に同寺院の境内に仏像を建立して慰霊に努めていること(なお、<証拠>参照)、

(三)  日本人被害者(死亡者)の遺族中の数名から、当裁判所に宛てて、被告人が示談や被害者の慰霊、供養などにおいて誠意を示していること、また、示談外の経済的援助を受けたこと等を理由として、被告人に対する寛大な判決を願う旨の嘆願書が提出されていること、

(四)  韓国及び台湾関係の被害者(死亡者)の遺族らからも、当裁判所に宛てて、被告人が早期の賠償(示談)や被害者の慰霊、供養などにおいて誠意を示していること等を理由として、連名で、あるいは代表から、被告人に対する寛大な判決を願う旨の嘆願書が提出されていること、

(五)  被告人は、原判決後後悔の念を深め、右のように被害者(死亡者)の慰霊、供養に努めるほか、その遺族から陳情を受ければ、示談外の経済的援助の手を差し伸べるなどしていること、

(六)  被告人は、事業家としての晩年に差しかかろうとして本件を犯し、その衷情は推察されるところであり、現在七七歳の高齢であり、高血圧等の身体の不調を訴えていること

等の事情が認められる。

(4)  結論

しかしながら、先に述べたように、被告人の過失及び本件結果はまことに重大であって、その責任は重く、原判決の判示する被告人に有利な前記事情に、原審証拠及び当審事実取調べの結果により認められる、原判決前におけるその他の有利な事情を加えて検討しても、原判決の時点を基準として判断するとき、その量刑が、刑期の点においても、また、刑の執行を猶予しなかった点においても、重きに過ぎて不当であるということはできない。

また、原判決前の右諸事情に、当審事実取調べの結果により認められる原判決後の被告人に有利な事情を加えて検討しても、原判決の量刑が重きに過ぎ、原判決を破棄しなければ明らかに正義に反するということもできないのである。

論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条に従い本件控訴を棄却し、同法一八一条一項本文により被告人に当審における訴訟費用を負担させることにして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大久保太郎 裁判官 荒木勝己 裁判官 生島三則)

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